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ブックマーク / blog.goo.ne.jp/syuka-chan (26)

  • 「生かされている」命。 - オオカミの遠吠え通信

    hatayasan
    hatayasan 2007/12/26
    「「大丈夫だよ」そんな言葉をかけられるほど、私は薄情ではない。僅か数行のメールを、数十分かけて打ち込む。「私、生かされています」彼女の言葉を噛みしめながら。」
  • 言論の自由。 - オオカミの遠吠え通信

    友達に書く手紙は、それなりに砕けている。 極端な話、話し言葉そのままに言葉を綴っている。 勿論、ある程度気心の知れた相手であるからこそ許されることである。 さほど親しくない相手であれば、やはり書き言葉を意識して文章を綴っていくし、出来る限り失礼のないよう配慮をする。 恐らく、この文章を読まれている方も同様だと思う。 ところで、web上の文章というのは原則不特定多数を対象としており、それ故「見ず知らずの人に宛てる文章」として言葉を選ぶべきだと考えている。 当然、自分の中で“タブー”とする題材も幾つかあるし、“禁止用語”も存在する。 一度発した言葉が一人歩きをする以上、自分の中で“覚悟”が出来ない話題は文章にすべきではないし、仮に予想外の反響があったとしてもそれを謙虚に受け止めるべきだろう。 故に“自主規制”が必要であり、そうすることで“言論に対する責任”を果たすことが可能と信

    hatayasan
    hatayasan 2007/12/03
    「一度発した言葉が一人歩きをする以上、自分の中で“覚悟”が出来ない話題は文章にすべきではないし、仮に予想外の反響があったとしてもそれを謙虚に受け止めるべきだろう。」とりわけウェブでは。
  • ふと思い出したこと。 - オオカミの遠吠え通信

    もう何年も前の話になるが、とあるBlogで心暖まる記事を見かけたことがある。 内容は初めての子供が生まれた瞬間の、言葉では表しきれない穏やかな感動を綴ったモノ。 淡々とした口調は読み手の心をやわらかく包み込み、これに感銘した人々の声がコメント欄に溢れている。 その瞬間、私は自身の中に哀しみが溢れていることに気付いた。 私ども夫婦には、子供はいない。 不妊だったか否かまではわからないが、少なくとも私の母親(と旦那の両親)は孫の顔を見ることが出来なかった。 そのことに対して申し訳ないという気持ちがない訳じゃないけど、それ以前に「縁がなかったのだろう」と割り切る自分がいる。 だからこそ写真入りの年賀状が届くと無条件に嬉しくなるし、それが友人の子供であればなお嬉しい。 従弟に子供が生まれた時など、実家の母を通して「写真をよこせ!」と催促した程だ。 そんな私であるから、正直誰かが記

    hatayasan
    hatayasan 2007/12/01
    「だとすれば、たまたま見かけた記事を切っ掛けにして“無意識の叫び”が溢れ出しても不思議ではない。むしろそうすることで「心の闇」と向き合い、自身を受け入れることが必要だったのだろう。」
  • 「祭り」は終わった。 - オオカミの遠吠え通信

    hatayasan
    hatayasan 2007/12/01
    「肉筆なら伝わるニュアンスも、webの文字なら全て削ぎ落とされる。それ故読み手の数だけ読み方…意見がある。重要なのは「どういう言葉が発せられたのか」であって、「どういう人が発したのか」ではない。」
  • 私の中の「矛盾」。 - オオカミの遠吠え通信

    閉鎖的な集団を何処か毛嫌いする自分がいて。 その癖、そういった集団の中に入り込んでしまえば、それはそれで心の平安を得ることの出来る自分がいて。 私自身が閉鎖的であるからこそ、意識的に「開かれた空間」へと身を投じるのだろう。 積極的に動くこともなく、ただ己のペースで空間を漂う。 時折「周囲の視線」を気にしつつも、案外開き直る自分がいる。 (そして、それは刺激的だ) かと思えば、限られた仲間のみに開かれた「秘密の場所」へと逃げ込みたい誘惑にも駆られる。 それは掲示板かもしれない、独り言のブログかもしれない。 意味深なパスワードで守られた部屋には、それでも仮面を外せない私が佇むだろう。 (多分、作らないけど) 絶え間ない矛盾の中で、振り子のように私は揺れる。 これもまた、自己陶酔の形かもしれない。

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    hatayasan 2007/12/01
    「絶え間ない矛盾の中で、振り子のように私は揺れる。これもまた、自己陶酔の形」
  • 閉ざされたブログ。 - オオカミの遠吠え通信

    言及なしトラバが届くことは多々ある。 内容にもよるが、少なくとも「読み応えのある記事」であれば私は大歓迎だし、場合によっては相手のブログにコメントを残す。 時には「検索トラバ」と思われるモノも送り込まれるが、内容如何によってはそのままありがたく受領させていただく。 もっとも明らかに不快感を感じたもの(例えばアダルトサイトからのトラバとか)は遠慮なく削除するが。 かくいう私は「相手の記事に触発され、それに対して何らかの記事を書いた時」にトラバを送ることが多い。 コメントとなると何故か尻込みする私でも、トラバであれば大胆にも送信できるのだ。 そのことによって受け手側が不快感を感じる可能性もあるが、それはそれ。 「関連性に乏しい」と感じたならば、一方的に削除すれば済むこと。 反論があればコメント欄にでも書き込んでくれればいい。 ところで、こんなコメントを見かけたことがある。

    hatayasan
    hatayasan 2006/05/18
    「「異論・反論を受け付ける」意志がない人にトラバを送る資格はない」