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ブックマーク / blog.goo.ne.jp/syuka-chan (26)

  • 以前から思っていたこと。 - オオカミの遠吠え通信

    ちょっとした言葉のニュアンスから「歓迎されていないな」と感じることが多々ある。 相手は相手なりに気を遣ってくれるものの、つい調子に乗って余計な一言を発するものなら瞬時にシャッターを下ろされてしまう。 「君とはまだ、それほど親しくないよ」と言わんばかりの視線を浴びた時の、あの惨めさときたら! そうした経験の積み重ねから、「距離を読むこと」の大切さを私は知る。 私にとっては友人でも、相手にすれば単なる顔見知り。 相手にとっては親友でも、私にとっては知人の一人。 そんなボタンの掛け違いが日常茶飯事である以上、例えば相手が発した言葉の端々から“微妙なニュアンス”を嗅ぎ取らなければならない。 (そして多くの人は無意識のうちにそれを行っている) 正直「そこまでして…」と思うこともある。 ありのままの自分をさらけ出せばいい、と気で思ったこともある。 けれど今は、相手に合わせて“仮面

    hatayasan
    hatayasan 2008/10/03
    「ありのままの自分をさらけ出せばいい、と本気で思ったこともある。けれど今は、相手に合わせて“仮面”を付け替えるぐらいがちょうどいいかな?と思える自分がいる。」
  • 写真が呼び起こす記憶。 - オオカミの遠吠え通信

    hatayasan
    hatayasan 2008/05/26
    記憶に焼き付けるために写真は撮らない、と頑なに思い込んでいた時期もあったけど、今はどうだろうか。
  • 「感情」を伝える技術。 - オオカミの遠吠え通信

    ある仲間の日記を読んで、はっとした。 彼女にしては珍しく、口調が厳しい。 いつもほのぼのとした日常を綴っていた人だけに、その憤りが伝わってくる。 怒りにまかせて書きなぐった文章なら、あちこちで見ることが出来る。 その怒りに共感し、コメントをする人も少なからずいるが、私は逆に醒めてしまう方。 気持ちはわかるのだが、共感できないのだ。 その点、彼女の文章は違う。 当は腸が煮えくり返っているのだろうが、それは微塵も見せない。 出来るだけ感情を殺し、出来るだけ事実のみを綴ろうとしている。 時折顔を覗かせる「音」がいい意味でアクセントとなっている。 言葉を選びながら、彼女はきっと自分と向き合っていたに違いない。

    hatayasan
    hatayasan 2008/03/21
    「出来るだけ事実のみを綴ろうとしている。時折顔を覗かせる「本音」がいい意味でアクセントとなっている。」抑制した文章からその人の込めたメッセージを受け取ることは多い。
  • 空回りする言葉。 - オオカミの遠吠え通信

    hatayasan
    hatayasan 2008/02/22
    「「特定の相手」だからこそ可能な配慮であり、親しい相手であればあるほど、そういった心遣いが必要」大事にしたい相手だからこそ。2006年2月。
  • 私が「あなた」を嫌いになる時。 - オオカミの遠吠え通信

    例えばちょっと気に障る言葉を相手が発してみたり、笑えないジョークをしつこく飛ばしてきたり。 逆にこちらの不注意で、相手を傷つけてしまったり。 それだけのことが引き金となり、突然「あなた」を嫌いになることがある。 予兆はあったと思う。 相手の無神経さに苛立ちを感じることもあれば、価値観の相違からくる意見の対立もある。 くだらない嫉妬心に振り回され、やりきれない思いを抱えることもある。 時には「あなた」の言動の中に“私自身”を見い出し、それ故見るに堪えかねることもある。 このように他人からすれば「取るに足らないこと」が積み重なり、不幸にして爆発した時、私は「あなた」を嫌いになるのだ。 正直、こういう自分が嫌いである。 昨日までは仲睦まじく会話を楽しんでいたのに、今日は掌を返したかのように冷たく接する自分。 申し訳ないなという気持ちと、自身の身勝手さに呆れる気持ちが交叉するが

    hatayasan
    hatayasan 2008/02/22
    「時には「あなた」の言動の中に“私自身”を見い出し、それ故見るに堪えかねることもある。このように他人からすれば「取るに足らないこと」が積み重なり、不幸にして爆発した時、私は「あなた」を嫌いになる」
  • ちょっとしたモノの言い方。 - オオカミの遠吠え通信

    hatayasan
    hatayasan 2008/02/22
    「私たちが思う以上に、メールは雄弁だ。その人の人柄はいうまでもなく、つきあいのレベルや受取人に対する印象までもが行間から漂ってくる。」最初の一行で印象が形作られることもある。2007年9月。
  • ちょっとしたモノの言い方で。 - オオカミの遠吠え通信

    hatayasan
    hatayasan 2008/02/22
    「TPOに応じて服装を選ぶように、「あなた」に合わせて接し方も変える。それはきっとお互い様で、だからこそ「あなた」は友達なのだ。」2007年8月。
  • 「顔」を使い分ける意味。 - オオカミの遠吠え通信

    「裏表のない人格」に憧れる人は多い。 その人が発する言葉に“裏”はなく、それ故受け止める側は“額面通りに”受け止めればいい。 ある意味、これほど楽なことはないだろう。 かくいう私は「裏」も「表」もある。 時と場合(と相手)によって“言葉”を選ぶのは日常茶飯事。 これでも“T・P・O”を意識し、不器用なりに“自己演出”を試みている。 勿論私は私であり、“ある角度からの自分”を見せているに過ぎない。 相手を騙そうとする意図は微塵もなく、ただその場に応じた自分を提示したいだけ。 時にはそういった考え方が空回りし、心身共に疲れ切ってしまうこともある。 それでも、「裏表のない人格」にはなれそうにないし、仮になれたとしても敢えてそれを拒む。 “ありのままを見せない”こともまた、相手に対する思いやりになる。

    hatayasan
    hatayasan 2008/02/22
    「“ありのままを見せない”こともまた、相手に対する思いやりになる。」2007年7月。
  • 「鈍感」よりも「過敏」な方がいい。 - オオカミの遠吠え通信

    言葉の「裏」を読めない人が苦手だ。 そういう人は決まって「額面通りに」言葉を受け止め、背後にある微妙なニュアンスを読み取ろうともしない。 そればかりか、無意識に発した言葉が誰かを傷つけても「そういうつもりはなかった」の一点張りで謝ることを知らない。 “誰かを傷つける為に”言葉を発する人などむしろ少数で、“悪気のない言葉”が相手の心を容赦なく抉るのが現実なのに。 言葉の「裏」を読まない人が苦手だ。 知らず知らずのうちに“音”が滲み出ている言葉。 話し言葉であれ、書き言葉であれ、あなたが思っている以上に“あなた自身”が露呈している。 それ故あなたが発した言葉に傷つく人がいて、その人はその人なりに不快感を伝える努力をする。 (けれども、あなたには届かない) きっと私は「過敏」なのだろう。 時に言葉は“ネッカーキューブ”と化し、様々な表情を私に見せる。 だからこそ「額面通り

    hatayasan
    hatayasan 2008/02/22
    「話し言葉であれ、書き言葉であれ、あなたが思っている以上に“あなた自身”が露呈している。」2007年5月。
  • 「顔の見えない場所」だからこそ。 - オオカミの遠吠え通信

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    hatayasan 2008/02/22
    顔が見えるのと見えないのとは、差はかなりあるような気がする。
  • 文字への憧れ。 - オオカミの遠吠え通信

    hatayasan
    hatayasan 2008/02/22
    議事録でも残すときはワープロの文書形式。手書きをすることはあっても、残すことはずいぶん減ったような気がする。
  • 粋な読み手 - オオカミの遠吠え通信

    hatayasan
    hatayasan 2008/02/22
    「ともすれば埋もれてしまう微かな思いを、そっと掘り起こして受け止めるのもまた読み手の楽しみというもの。」
  • 訣別したい過去だってあるんだ。 - オオカミの遠吠え通信

    hatayasan
    hatayasan 2008/02/21
    「今後更新する意志のないサイトやブログをこのまま放置することの方がよほど失礼だと私は思っている」見なければよかったと思う過去もある。
  • 私と、はてブと。(2008) - オオカミの遠吠え通信

    現在、はてなIDはサブアカウントを含めて4つ。 うち3つをパブリックで使っている。 1つ目がID:ippikiohkami、通常のブックマーク用に使っている。 一時期はてなダイアリーも利用していたが、現在は開店休業状態。 気が向けば再開も考えているが、当面その予定はない。 2つ目のIDはHALLE。 もともとサイトマップ代わりに使っているので、普段はログインせず。 ブックマーク対象も当然「自分が管理するコンテンツ」ばかりだ。 そして、3つ目がID:book-keeping。 こちらもセルフブックマークのみで、内容はといえば簿記関連の記事を自分なりのタグで分類している。 もともと別ブログにて管理していたものだが、会社法施行等の影響もあって修正が必要となり、だったら記事毎このブログへ…と考えた次第。 要するにインデックス代わりにはてブを利用しているのだ。 内容が内容だけ

    hatayasan
    hatayasan 2008/02/11
    用途に応じたアカウントの使い分け。個人的に近しいものはプライベートで管理。
  • 「しゅうか」を封印する日。 - オオカミの遠吠え通信

    hatayasan
    hatayasan 2008/01/16
    「私生活で用いる「実名」と同じように、「しゅうか」は既に私の一部となりつつある。」ハンドルネームへの愛着。
  • 記憶媒体たるもの、いつかは壊れる。 - オオカミの遠吠え通信

    hatayasan
    hatayasan 2008/01/15
    DVD-RAMも書き換えが増えたら別の媒体に移さないと読めなくなることがあるようだ。
  • 伝わらない言葉。 - オオカミの遠吠え通信

    私の中に、幾つかの「独り言」があって。 それらを基に言葉を紡ぎ始めるけれど、いつも上手にまとまらなくて、結局尻切れトンボのまま投稿ボタンを押す形になる。 納得のいくまで温めるなら、恐らく年に数しか公開できないだろう。 それでも構わないけど、「今の自分」を伝えたいから敢えて公開に踏み切る。 やがて「言葉」は書き手の思いとは裏腹に波紋を広げていく。 (必ずしも目に見える形ではないけど) 違うよ、違うんだよ…と何度言いかけたことか。 その都度「声をあげるのは野暮」と自身に言い聞かせてきたっけ。 私自身、アナタの言葉を“曲解して”受け止めるように、アナタは私の言葉を“アナタの言葉”に翻訳する。 それでいいじゃないか。 割り切ろうとすればするほど、何処かで抵抗する自分がいる。 Unknown (えむ) 2008-01-06 05:06:37 ほんに言葉って難しいですよね。私はほ

    hatayasan
    hatayasan 2008/01/06
    「私自身、アナタの言葉を“曲解して”受け止めるように、アナタは私の言葉を“アナタの言葉”に翻訳する。それでいいじゃないか。」
  • 文脈を読む。 - オオカミの遠吠え通信

    まだ私が会社員だった頃。 当時勤務していた会社の支店長は洒落にならない程の悪筆で、社員は皆「あれは象形文字だ」と陰口(の割には堂々と話していたが)を叩いていた。 当然何らかの文書を作成する際には清書が必要であり、専ら総務課長がそれを担当していた。 「それにしても○○さん(総務課長のこと)は支店長の文字を読むのが得意だよね」 年配の社員に冷やかされる度、「一応、人から音読してもらうからね」と謙遜する姿が印象的だった。 やがて勤務先にもワープロが導入され、清書担当も総務課長から私へと引き継がれた。 渡された直筆原稿は想像を絶するもので、A4サイズ一枚分の文書を仕上げるのに半日近くかかる有様。 「最初はそんなもの」と慰められたものの、何とも言えない惨めな気持ちに捕らわれたものだ。 そんな私でも、何度か清書を繰り返すうちに“翻訳”が得意になる。 どう転んでも「謹賀新年」と読めな

    hatayasan
    hatayasan 2008/01/04
    「文脈から推測する」≒「空気を読む」という話。
  • 改めて「告知」を考えてみる。 - オオカミの遠吠え通信

    「大学病院に転院しましょう。」 医師から申し出があった時、父親は激しいショックを受けた。 どうやら自分の病は回復不能なものらしい…と勝手に思いこんだからで、父親の欲は一気に減退した。 幸いなことに、医師は父親の脆さを理解してくれた。 「幾つもの検査が必要なので、時折他の病院に出向いてもらいます。それで良ければ、この病院で治療を続けましょう。」 この言葉に安堵したのか、父親の欲は回復し、顔色も目に見えて良くなってきた。 こういう父親だったせいか、いざガン細胞が見つかった際にも医師は一切告知をしなかった。 下手に告知をすることで「病気と闘う」どころか「結果的には死期を早めてしまう」ことをおそれたのだろう。 賢明な措置だった、と娘の私は今でも思う。 病気と闘う。 その姿は第三者に生きる勇気を与え、その生き様は鮮烈な印象を残すことが多い。 私自身、影響を受けたことが少なか

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    hatayasan 2008/01/03
    告知することが必ずしもよい結果につながるとは限らない。
  • 「生かされている」ということ。 - オオカミの遠吠え通信

    知人からのメールは、改めて私たちが「生きている」のではなく「生かされている」ことを教えてくれた。 知人は人望の厚い人でもあるから、きっとまだまだすべきことが残されているのだろう。 知人自身、強い生命力を持っていたに違いない。 正直、この数年「生きている」ことに虚しさを感じることが多かった。 (不思議なことに「死」を考えたことは一度もなかった) 何で生まれてきたのだろう?と自問自答した日々もある。 ただ「生きている」(呼吸をしている)だけだな…と自嘲的に思った時期もある。 残念ながら状況はさほど好転していないが、それでも以前よりは「生かされている」ことを感じるようになった。 それが何であるかは相変わらず見えないけれど。 知人のメールはまた、人との出会いが決して無意味ではないことも教えてくれる。 中には「二度とかかわりたくない」相手もいる。 ほんの一瞬、すれ違っただけの人

    hatayasan
    hatayasan 2007/12/29
    「これらの出会いが私に与えた影響は少なくなく、知らず知らずのうちにある種の方向に導かれているのだろう。そう思うと、少しは気持ちも軽くなる。」