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ブックマーク / noon.serio.jp (5)

  • 知性なき「はてな」(2)―乞食より貧しいはてなブックマーカーたちの精神 (セックスなんてくそくらえ)

    あるブログの書き手のあまりにひどい言語障害、そしてそのようなブロガーが書き捨てるエントリに盲目的に追従する、頭が悪いとしかいいようがない数多くの読者の姿。 この二つが渾然一体となってかもしだす、なんともいえない雰囲気こそが、ブロゴスフィアという人生劇場の醍醐味であり、その舞台で日々行われる悲喜劇を、軽いめまいと頭痛を覚えつつ眺めるということが、私たち現代に生きるものの楽しみである、と言えないこともないだろう。 そしてそのような光景は日常茶飯事である。 さて、日私noon75が皆さんにご紹介したいと思うのは、次のようなブログである。 不謹慎な箱男: ホームレスになってみよう。 世に曰く 「乞は三日やったらやめられない。」 らしい。 そいつが当かどうか試してみてぇ! ということで、6/7~6/9にかけて新宿において2泊3日のホームレス生活をやってみた。 そしてこの人物は、事にも

  • 知性なき「はてな」―本の読めない技術者・伊藤直也 (セックスなんてくそくらえ)

    あなたの経歴を知っているわけではないが、少なくとも現代の先端を走る技術者はほとんど書籍には頼らない。なぜなら書籍がでるころにはすでにその技術はコモディティ化しているからだ。 もはや技術のスピードはがでるようなスピードでは進化していない。もちろん普遍的な技術もあるのでそういったものは書籍に頼ったほうが効率が良いだろう。だが最先端を進むには、普遍的な技術プラス新しい技術を見る目が必要なのだ。 あなたの記事を読んでいると、とてもここ最近のインターネットの事情について詳しいとは思えない。もう少し勉強してから批判をしてみてはいかがだろうか

    hatayasan
    hatayasan 2007/04/07
    理屈をひねり出して釣りをかますのも文豪たる条件なんですかね?続編を楽しみにさせていただきます。
  • ブログにおける腰抜けの5つの特徴 (セックスなんてくそくらえ)

    現実でも似たようなことが言えるはずだが、基的にはギャラリーの視線によって勝敗が決するブロゴスフィアでは、自分がいかに腰抜けではないか、いかに勇気があって、いかに知性のある人間かということを、常に読者にアピールする必要があり、なぜかというと読者と言うものはバカであり、マヌケであり、エントリの最初の一行だけを読んでコメントする輩が全体の99.99パーセントを占めるからである。 またこのような他人の視線にさらされるブログにおいて、腰抜けでフヌケでヘニャチンで小心者な人々は、自分の腰抜けぶりをさらけ出しては生きていけないのであって、ナイーブで繊細でセンシティブでワンダフルな感性を持っている彼らは、自衛のために様々な逃げ道と言うものを考案し、つまり自分が腰抜けではないかのように見せかけるために、様々なテクニックを駆使して今日も平凡な日々を過ごしているようである。 ざっとブログを見渡した限りでは、次

    hatayasan
    hatayasan 2006/12/18
    「面目を失わずに上手に生きていく方法だけが価値あるものとみなされるブロゴスフィアは退屈」
  • 僕の名は正午 (セックスなんてくそくらえ)

    その名前はどこにもない時間、朝と夜の狭間、何人でもなくどこにも存在しない架空の一瞬を由来としており、僕はものを書きはじめた十八歳の頃、祖父がつけてくれたという仰々しい名を捨てて、自分をそう名づけたのだった。僕という魂が空虚そのものであり、どこにも存在しないのだとはっきりと理解したのは、日に帰ってきてからすぐのことである。帰るべき故郷というものがフィクションであると気づかざるを得ない人間というのは、ある資質に恵まれているのかもしれないが、人生のある一時期において、それが不幸なことであると思ったこともあった。だがトロツキーがかつて言ったように、故郷を持たないものこそ幸いである、なぜなら地球のあらゆる国が、彼の故郷になりうるからであるということが可能なのであれば、僕は幸福な人間であり、また子供の頃強制的に多言語環境に放り込まれることによって、結果としてほかの人間に比べてほんの少し、優れた言葉

    hatayasan
    hatayasan 2006/12/07
    「痛みのみが書くことを人間に強いる原動力であり、存在のもたらす埋めることのできない齟齬こそが僕に書く力を与えることを、僕は直感的に理解していた。」
  • ブログを書いてはいけない人々 (セックスなんてくそくらえ)

    謙虚な人々。 もっともブログを書いてはいけない人々。ブログに必要なことはまず目立つことであり、人目を引く過剰な罵倒、きらびやかなレトリック、架空の勝ち負けにこだわって勝ちを演出するポーズ、こういった厚顔無恥な戦略を駆使し、あらゆる場面で自分のブログとその名前の差別化を計ることが大事なのであって、ブログにおいて知らないということを知らないという謙虚さは不要であり、むしろほのめかして知っているフリをするべきなのであり、なぜなら多くの読者はその見せかけの知識の高さが物なのかどうか理解する術を持たないからである。 誠実な人々。 ブログを書くのに向いていない人々。ブログに必要なことは堂々と批判を無視することであり、批判に対してはコメントの削除・修正などを繰りかえし、ハンドルネームを次々に変更し、ブログのリネーム及び移転などを意図的に頻繁に行うことで、自らに都合のいいことだけが周囲に存在しているよう

    hatayasan
    hatayasan 2006/11/10
    謙虚な人々、誠実な人々、勤勉な人々はブログを書いてはいけない。そもそもブログを書いている時点で自意識過剰であることに気づくべきなんだよな。
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