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jal123とairに関するhatayasanのブックマーク (2)

  • 日本航空123便墜落事故・落合由美さんの証言

    離陸してすぐ、私は機内に備え付けの女性週刊誌を読んでいました。女性や子供の姿が多く、いつもの大阪便とはちがうな、という印象はありました。私の席の周囲にも、若い女性の姿が目立った。禁煙のサインはすぐに消えたのですが、着席のサインが消えていたかどうか、はっきりしません。 そろそろ水平飛行に移るかなというとき、「パ−ン」という、かなり大きい音がしました。テレビ・ドラマなどでピストルを撃ったときに響くような音です。「バーン」ではなくて、高めの「パーン」です。急減圧がなくても,耳を押さえたくなるような、すごく響く音。前ぶれのような異常は、まったく何も感じませんでした。 音は、私のちょっとうしろの天井のあたりからしたように感じましたが、そこだけでなく全体的に広がったように思います。私は思わず天井を見上げました。しかし、振動はまったく感じませんでした。機体も揺れなかった。 お客様からは、「うわっ」

    hatayasan
    hatayasan 2010/08/13
    母方の実家で高校野球の中継を見終わった頃に、「機影が消えた」というニュース速報が飛び込んできたのを憶えている。
  • 空へ

    中高時代の修学旅行は寝台列車での移動だった。私の学校は「私立のくせに修学旅行がしょぼい」と評判で、担任教師が「修学旅行は寝台列車で…」と口にした途端に「ええーっ」と生徒たちの間から不満の声があがる程だった。その時、普段は優しい先生が「我が校では飛行機を使いません」といやにきっぱりと言った理由を知ったのは、少し後のことだ。 校門から下足室までの小さな木立の中に、「空へ」と書かれた石碑があることは全校生徒が知っていた。トランク程の大きさの石で、鈍い斑色の表面をいつも輝かせている。けれども、その石碑がなんのものであるのかは、ほとんどの生徒が知らなかっただろう。 だから卒業間際のホームルームで、担任教師から知らされた事実は、ひどく私たちを驚かせた。それはあの1985年に起きた日航機墜落事故で犠牲になった3人の先生の慰霊碑なのだった。事故当時の私たちはまだ幼稚園に通っていた。テレビの向こう側、どこか

    空へ
    hatayasan
    hatayasan 2008/07/07
    修学旅行で空があたりまえになる前に学校を卒業しちゃってたな。
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