○…大阪市をつぶす「大阪都」構想で実現する政策の目玉としてカジノ誘致を掲げる大阪維新の会代表の橋下徹大阪市長が、市民の批判に追い詰められ、その場しのぎのひどい説明を行っています。 ○…7日の屋内集会では、カジノに批判的な男性からの質問に、「都構想の話とカジノの話は基本的には別です」などと言い訳。「カジノ反対の方にも都構想は非常に有効なんです」などという詭弁(きべん)を弄しました。 ○…いったいどんな理屈なのか。橋下氏はまず「僕と松井知事は賛成派」と断りつつも「東京(都)を見てください。舛添(要一)知事になってスパーンとカジノをやめた」などと強調しました。 ○…「都」構想で市長がいなくなり決定権が「都知事」(府知事)に一本化されれば、進めるのもやめるのもスピーディーになるとの理屈で「今度の都知事選(府知事選)で、カジノが争点になれば、府民のみなさんで止めると決めてもらえれば決着する」というの
すこし前、ある会社で改革が行われた話を伺った。新社長は低迷する業績への対策のために思い切った異動とリストラを進め、会社を立て直すことに成功した。 だが、その道程は苦難に満ちていた。特に、新社長に反対する勢力の取り扱いについては。 新社長はこのように言った。 「私に賛成してくれる若手たちは、放っておけば良い仕事をしてくれました。価値観を共有できていたからです。しかし、反対勢力の処遇は非常に困りました。」 「全員クビにしたのでしょうか?」 「いや、そんなことはしません。全員辞めさせてしまっては、私の周りはイエスマンだけになってしまう。健全な反対派はむしろ会社を活性化する。粛清は手っ取り早いが、その後に人材が残らない、というケースも多い。」 「なるほど」 「辞めさせるべき反対派と、残すべき反対派は全く違う。会社は民主主義ではないから、辞めさせるべき人物は排除する。けど、良い人は残すようにする。彼
秋元キャスター「2015 年は未年です。戦後の未年にどのようなことがあったのかを見ていきたいと思うのですが、1955年、自由党と日本民主党が合同した自由民主党と、左派と右派が統一した日本社会党が誕生、いわゆる55年体制が成立しました。1967年に第3次中東戦争が勃発しています。1979年にはイラン革命によって、第2次オイルショックが起こりました。日本も原油価格の高騰と共に大きな騒動となりました。トイレットペーパーがなくなったりしましたよね。1991年、湾岸戦争が勃発しました。また、ソ連が崩壊し、冷戦が終結しています。日本では湾岸戦争後、初めて自衛隊が海外派遣され、ペルシャ湾で機雷掃海にあたりました。ちなみにバブル崩壊も通説としてこの年とされているということです。2003年のイラク戦争が勃発しています。このように大きな動きのある年になることが多かった未年だったんですけれども、2015年の日本
DOL特別レポート 内外の政治や経済、産業、社会問題に及ぶ幅広いテーマを斬新な視点で分析する、取材レポートおよび識者・専門家による特別寄稿。 バックナンバー一覧 いわゆる「大阪都構想」、すなわち「大阪市の廃止五分割」(以下、『都構想』と略称)をめぐる住民投票日、5月17日が目前に迫ってきた。今、大阪では激しい論戦が繰り広げられており、世論調査によればその賛否はおおむね拮抗している状況だ。本ダイヤモンド・オンラインでも(大阪市特別顧問でもある)高橋洋一氏が「『大阪都構想』を逃せば大阪の衰退はさらに進む」という自説を公表しているが、この主張はもちろん、橋下市長率いる「維新」の勢力のそれと同様だ。 しかし、この高橋氏の見解は学術界では極めて「特異」なものであり「圧倒的少数派」である。学術界では「大阪市を廃止して、5分割して、東京都のような都区制度を導入すれば、大阪は衰退していくだろう」という見解
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