自分という「主体」が持てない人々の問題については、これまで本連載第2回や前連載第16回でも取り上げてきました。 しかし、これとは逆に、「主体」をはっきり持っているがゆえに、組織や集団の中で煙たがられて、理不尽な扱いを受けてしまう人々もいます。また、そのようなことが原因となって、本人も「自分がおかしいのではないか」と疑いはじめ、その結果、「うつ」状態にまで追いこまれてしまうケースも稀ではありません。 そこで今回は、私たちの属する組織や集団がどのような体質を持っているのか、また、それが私たちの生き辛さとどう関係しているのかという点について、考えてみたいと思います。 ここは「社会」なのか「世間」なのか ――そんなふうに生意気で協調性がないようでは、君はどこに行ってもやっていけないと思うよ。 Yさんは、過酷な労働条件を課せられ、それに対して異議を唱えた際に、このような捨て台詞を社長から浴びせられ、