「Sim City 2」の冒頭は、英語の「It's very cold」とタイ語の歌詞 「私と一緒に行きましょう あの巨大な都市へ それはCharan Sanitwong24 とSim City の間」 「Luuktung or Daai」の冒頭も同じくタイ語で、「サワディー カー」 日本語で「こんにちは」(女性が使う) 「Seh Le Mao」はタイ北部に伝わる民謡 意味は ああ、もうヨレヨレだ。 ここじゃない所へ行きたかったんだ。 道行く人に尋ねたさ。 何度も何度も尋ねたさ。 「あっち」と言われりゃ、あっちへ行って。 「こっち」と言われりゃ、こっちへ行った。 ああなんということ、着いたところはこんなド田舎。 さあ、みんな聞いて踊ってくれ。こんなバカな話。 (#)(モゥン セ モゥン セ セ モゥン タルン トゥム モゥン) ああ、もつれる足で歩きまくったよ。周りは知らない人ばかり。 騙
磁力の父は ∥ラボ ソレノイド ∥コイル男が ラボ1と1の ∥ラボ ヒステリシスに ∥のヒストリー テリブルの果てを∥ラボ たずねては ∥テリブルの果て ラボの回転 ∥ラボ 尽きぬ止まず ∥ ∥ 磁力の父は ∥ラボ ソレノイド ∥コイル男が ラボ1と1の ∥ラボ ミステリアスに ∥のミステリー ケーブルの果てを∥ラボ 見上げたら ∥ケーブルの果て ラボの配線 ∥ラボ 月の彼方 ∥ 磁力の父は ゆーつか? ゆーつか? 非力の母は ミューズか? ミューズか? ∥ 非力の母は ∥イオ パラノイド ∥コイル男が ラボ0と0の ∥イオ ビクトリアで ∥のビクトリー ベリーグーの風 ∥イオ さそっては ∥ベリーグッドの イオの回転 ∥イオ 尽きぬ止まず ∥
独立メディアのための無料音楽素材配信にあたって フリー・ジャーナリスト、市民メディアのみなさん。ここにある音楽が役に立つなら、どうぞお使いください。これからも増やしていきます。 そして、その他の皆さん。たぶんあなた方もここに訪れ、ダウンロードするのでしょう。ここはそのような用途のために作られてはいませんが、私はあえてあなた方を規制しないし「クリエイティブコモンズ」さえ適用しない。ただし、あなた方がここにある音楽を楽しむために必要な「解除キー」は、あなた方の「良識」とするので。 平沢 進 ご利用方法 独立ジャーナリストとして活動する方々が番組制作にあたって無料でご利用できる音楽を提供します。 音源は、提供者・形態・歌の有無などによってカテゴライズされているほか、曲の印象などがタグで検索できるようになっています。 ファイル形式はMP3(128-160kb/s,44100Hz,ステレオ)で、
平沢 進 (ひらさわ すすむ、1954年4月2日 - ) とは、東京都出身のHomo Gestalt。 音楽家、音楽プロデューサー、CGアーティスト、支那そば屋店長、ニコ厨など多彩な肩書きを持つ年齢不詳のステルスミュージシャンにして、『P-MODEL』教祖。 エレキギターに興味はないと公言するもタルボを愛用する変わったアンチギタリストで、熱心なこころの里セラピー受講者。 別称「師匠」「オッサン」「禿」「ラーメンの鬼」「校長」。 経歴[編集] 1954年4月2日、東京の下町で誕生。 1969年頃、前世の因果によりエンジニアを志し、工業高校の電子科へ進学。 1973年頃、通学していた専門学校等から有志を募り、新興宗教「マンドレイク」を築く。 後にこれが「ヒカシュー」、「Plastics」に並ぶ三大宗教のひとつに変貌する事を、また検閲により削除がだんだんと薄くなっていく事を、この時の彼は知る由も
θ=7 β=3 要BGM(ナーシサス次元から来た人) 見よ、男が今路上で果てようとしている。空腹ゆえに。その男、平沢進25歳は今、道端に仰向けに転がり、幸福そうな薄笑いを浮かべて動かない。そして、ほんの数秒前に「死よ、やって来るなら今だ。人生はめっちゃ面白かったぞ」と、か細くつぶやいたところだ。 みっともない。 飛ぶ鳥も落とす勢いのおまえが餓死などという生臭い理由で果てるとは。愚か過ぎてあくびが出る。おまえは最後の600円で食い物を買い、私はその600円で「食べられる雑草」の本を買って命を繋いだ。おまえは愚かな上に不運だったということだ。他のメンバーがバイトで食いつないでいる時も、面がわれているゆえにバイトもできないとはな。しかし、飛ぶ鳥を落とす勢いのP-MODELがバイト?いかにも音楽業界らしい。ムカつくほどバカバカしい。私は全て振り払ったぞ。私の周りにはもう、業界人など1人も居ない。そ
「それは絶対やってやんない」と思うから見ない ―― ところでクライアントソフトは何か使ってますか? 平沢 使ってないです。ウェブで、そのまんま。 ―― ということは「馬の骨」のリプライは読んでませんね?※9 平沢 「有象無象」の発言は一切見ないことにしているんです。もし見てしまうと「それは絶対やってやんない」とか、そういう風に影響される。すると狙った発言が増えてくる。それはたぶん面白くないだろうなと。 ―― 分かりました。ではこの取材の最初の目的を申し上げます。本日、私は「馬の骨」の一員としてやって参りました。馬の骨がいくら平沢さんにリプライしても答えてくれないので、こうして押し込みインタビューに来たわけです。 平沢 えっ、ちょっと待って、Twitterというのはそういうメディアと考えていいのですか? ―― 違うと思いますけど、読んでないんですね。みんな「師匠! 師匠!」って平沢さんの発言
「この数」をおいしがっている自分がいる ―― まずTwitterの話から始めましょう。フォローはいくつくらいでしたっけ?(取材をしたのは11月19日) 平沢 1万5千4百なんぼですね。 ―― 結構細かく覚えてますね。数は気にしてますか? 平沢 うん。だってすごい数リロードしてますよ。 ―― なにか平沢さんらしくないですよ、それ。 平沢 分かっているんです。それはいかんと思いつつ、もう一人、Twitterを介して、この数をおいしがっている自分がいるという。これをネタにすることはできるなと。 ―― それがあのややこしいTwitterキャラに。 平沢 嫌なのはね、まず人数が増えてくると不気味に感じるわけですよ。それは気にせずイベントの一環として見てくれる人のために書こうと思っているんですけど、そうもいかない。数が増えると気になってきて、減るとがっかりしたり。するとですね「この数を維持しなきゃ」と
「間違えてないか? 私は平沢進だぞ。平沢唯じゃない」 「マイナーで売ってるんだけど」 「平沢進というのは『な~に~? この音楽、きもちわるい』とか、そういう類だから。かわいくないから」 「友達減るから」 「私が『平沢唯』と書いたことにより、多くの皆様を誤った場所に導いてしまったことを深くお詫び申し上げますから」 「重ねてお詫び申し上げますから」 (Twitterアカウント @hirasawa より抜粋) 平沢進さんは日本を代表する電子音楽の作家であり、また高い表現力を持つボーカリストだ。1979年にテクノポップグループ「P-MODEL」でデビューし、1989年からソロ活動を開始。ブロードバンド環境が整い始める1999年には、メジャーとの契約を打ち切り、いち早くMP3でのダウンロード配信を始めるなど、現在のネット音楽シーンをリードしてきた人でもある。 その彼がTwitterに登場するや否や、
声が出なくなるまでミュージシャンやってなきゃダメですか? ―― ところで「UTAU」というフリーの歌声合成ソフトがあるんですけど。ご存じですか?(関連記事) 平沢 知っています。 ―― 初音ミクのような商用パッケージと違って、ユーザーが録音した声で歌わせられるんですね。それに関してこういう要望が届いています。 ―― 理由をお聞かせください。相当な需要があると思いますけど。 平沢 自分の楽曲の中に合成音声として組み込みたいのなら、ことさらヒラサワの声である必要はないじゃないですか。ヒラサワの声だと銘打ったパッケージの需要があるとすれば、つまりヒラサワと書いていないと買わない人達がいるということでしょう? ―― 初音ミクのキャラクター性と同じだと。でも、あったら使ってみたいですけどね。本人が嫌がる曲を歌わせてみたりとか。 平沢 ふっふっふ。それは面白いと思うんです。リスナーがヒラサワのイメージ
Twitterフォロワーからの質問 その3 《戦略として「客いじめ」を行なって来たという平沢進/P-MODELですが、今回のプロジェクト、全体を通して「自分いじめ」にも見えます。過去音源の変換、投票も加味、という方法はご本人の作業としては相当過酷なのでは?》 平沢 要するにインチキですよ、全部。 ―― えっ。何がですか? 平沢 一年間続くイベントとして飽きさせないために、何がしかの参加感覚を持ってもらう方がいいだろうと。それでお茶を濁すと。そういうことです。 ―― ひっどいなあ。なのに投票結果を見て「君たちはプロデューサーの観点が足りない」とか言うんだから。 平沢 実際問題として、投票結果を見る前に、私は選曲を済ませているんです。が、それを2回ボツにしています。それで投票結果を加味した選曲をしていますよ。うん。だからね、いい人なんです、本当は。 ―― じゃあ最初からそう言ってくださいよ。イ
平沢 余計なお世話ですね。締切を守るヒラサワと言えば、この業界では有名ですから。 ―― 本当に良く働きますよね、いつも仕事してる。 平沢 うん。止まると死ぬ。 ―― では今後も止まらないようにしてください。次です。 平沢 みんな自分においしいように考えるよね。 ―― それがファンというものです。 平沢 まず著作権問題から完全に解放されているわけではないです。初期の楽曲、特にファースト、セカンドあたりは永久譲渡ですから。呪縛は解けていませんね。 ―― では、どういう形で処理するんですか? 平沢 JASRACの流儀に従って、JASRACにお金を払いますよ。他にしようがないですからね。本当は以前やったように、歌詞の内容を変えたり、メロディを変えたりしようと思ったんですが……。 ―― ……が? 平沢 めんどくさい。 ―― まあ確かに。でも曲はほとんど原形をとどめていないのに妙なもんですね。 平沢
録音・録画補償金やDRMのあり方など、著作物の意義や対価システムが見直されようとしている。消費者にしてみれば、もちろん補償金もDRMもいやだということだけははっきりしているわけだが、権利者の団体はそれによって著作権者の利益が守られるのだと主張する。 だがちょっと待って欲しい。権利者といっても、いつも議論の舞台に登場するのはJASRACを始めとする権利団体だ。本当の意味での著作権者である音楽家達は、補償金やDRMなどのことをどう考えているのかという話は、ちっとも伝わってこないのである。 これはどう考えても、議論の席に座る人のバランスとしておかしいだろう。その権利者団体が、果たして正しくミュージシャンなど芸術家の総意を代表していると言えるのかがはっきりしないことには、権利者団体と話し合いをして意味があるのかも、実はわからないのではないか。 実際のプロの音楽家が今日の状況をどのように考えているの
“あなたが住んでいる世界はもっと良い世界です。それを決して忘れないでください。” 減薬中のうつ病のひとへ。
平沢進 11thソロ・アルバム 点呼する惑星 2009年2月18日発売 ケイオスユニオン(TESLAKITE) CHTE-0046 3150円(税込) INTRODUCTION TRACKS & STORY MESSAGE DOWNLOADS BUY NOW LINKS VOICES CODES INTRODUCTION オリジナル・アルバムとしては3年ぶりになるソロ第11作。 これまでにない発想と手法から生まれた平沢サウンドの新機軸。架空のSF映画のサウンド・トラック(*)を思わせるコンセプト・アルバムが、ついにリリース。 いったいAstro-Hoはどこへ帰還したのか? 果たして「点呼する惑星」の正体とは? *インストゥルメンタル主体のアルバムという意味ではありません GO to TOP TRACKS & STORY 01.Hard Landing (i
P-MODEL(ピー・モデル)は、日本の音楽グループ。1979年結成、2000年より無期限活動休止中。ここでは、2004年より活動している核P-MODELについても扱う。 媒体によっては「P-model」「P-モデル」等の表記揺れがあるが、正式な表記は全て大文字の「P-MODEL」である[要出典]。 概要[編集] 1979年1月1日、前身バンド「MANDRAKE」が解散。即日P-MODELが結成され、シングル『美術館で会った人だろ (ART MANIA)』で同年7月にメジャーデビュー[2][3]。ジョージ・オーウェルの小説『1984年』をコンセプトの下敷きとした1stアルバム『IN A MODEL ROOM』を発表[4]。 プラスチックス・ヒカシューと共に「テクノ御三家」とされ、YMOを始めとする80年代のテクノポップブームの一翼を担い、テクノ・ニューウェイブシーンにおける中心的存在となる
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