タグ

2020年8月19日のブックマーク (3件)

  • インフラ担当がいない、地方で根深い「バックエンド軽視」の闇

    経営者:「インフラも見ることができる、良いITエンジニアがなかなかいないんですよ」 ITエンジニア:「インフラ? 勘弁してください。二度とやりたくありません……」 これは、経営者とITエンジニアの間に見られる乖離(かいり)である。筆者の経験では、特に「地方都市」でこの傾向が強い(具体的な都市名を挙げると無用な波紋を生み前向きな議論が進まないため、あえてぼかすことをご理解いただきたい)。 両者の溝はどのようにして生まれるのか、どう向き合うべきか。今回はこのテーマについて考えてみたい。 「開発ありき」「作ってなんぼ」、そもそもインフラ業務が認知されない Webサイトやアプリケーションを作っておしまい。サーバーやデータベース、ネットワークなどバックエンドのことは気にしない。あるいは意識から漏れる。いわば、「フロント重視」「バックエンド軽視」の状況を悪気なく作り出す。 その背景には「見えないものを

    インフラ担当がいない、地方で根深い「バックエンド軽視」の闇
    hdkINO33
    hdkINO33 2020/08/19
    サーバーレスにしたところで「インフラ」の指すものが変わるだけで解決されない問題
  • 香港の財閥が「国家安全法」を支持する理由

    中華人民共和国特別行政区となった香港に「一国両制」の下での「高度な自治」を認め、「繁栄の維持」と「50年間の不変」を内外に約束した鄧小平は、92年の波瀾に富んだ生涯を北京で終えた。1997年2月19日21時が過ぎた頃である。 翌払暁、雨に煙る香港のヴィクトリア港に停泊する船舶からは、次々に霧笛が鳴り響いた。篠突く雨の中、ほの暗い街を走って、筆者は新聞売りスタンドを目指した。うず高く積まれた鄧小平の死を伝える新聞を求めて誰もが先を争っていたことを、今でも鮮やかに思い出す。あの朝、香港の街は返還を成し遂げた中国の指導者の死を悼んだはずだ。 「中国に戻った香港を、自分の足で歩きたい」と望んでいたとされる鄧小平の死から5カ月ほどが過ぎた7月1日、1840年のアヘン戦争を機にイギリス殖民地となってから140余年。殖民地を脱し、香港は晴れて中国回帰を果たした。関係各国指導者を招いた返還式典に臨んだ江澤

    香港の財閥が「国家安全法」を支持する理由
    hdkINO33
    hdkINO33 2020/08/19
  • 「たたき台」を作る人が一番えらい|浅見 ゆたか

    Twitterでも共感を得ることが多いので、定期的につぶやいていること。 記事の原稿でも提案資料でもデザインでも、 『たたき台を作る人が一番えらい』ってことを伝えたいです。 いいですか。たたき台を作るってのは「ゼロ→イチ」なんですよ。ゼロ→イチがどんな作業よりも、もっとも時間も労力もかかる。 これを理解せず、ゼロ→イチをやってくれた人にリスペクトをせず、平然とたたき台を“叩くだけ”の人が多いです。 イチがなければ、議論もフィードバックもできないわけで、その第一歩にしっかりコミットしてくれたことにリスペクトをすることが超絶大事なんですよ。 にも関わらず、例えば書き起こしのライターさんが作ってくれた原稿を、なんの感謝もなくバシバシ赤入れをしていく、みたいなのがとても昭和的で… (そこに信頼関係があれば別ですが、顔の見えない人と赤字だけのコミュニケーションをするケースもあるので、それがめちゃつら

    「たたき台」を作る人が一番えらい|浅見 ゆたか
    hdkINO33
    hdkINO33 2020/08/19
    「たたき台」を叩かない人が一番ヘボい / 受・発注者間で議論や吟味がないとどこにも行かないものが一丁上がり