葛飾北斎が生涯に何度も画号を変えたという話は有名ですが、たくさんある画号の中でも、特に異彩を放っているのが「画狂がきょう老人ろうじん卍まんじ」ではないでしょうか。しかもこの画号、北斎が70代半ばというかなりの高齢になってから使い始めたものです。ちょっと中二病を思わせるようなやんちゃな画号。北斎はなぜこのような画号を用いるようになったのか、その経緯をご紹介しましょう。 北斎は、享和元年(1801)、数え42歳の頃から「画狂人」という画号を用い始めます。例えばこちらの「見立三番叟」という肉筆画。 「画狂人北斎画」とサインしています。 「画狂人」とは、絵を描くことに熱中する人という意味でしょう。北斎はこの画号を文化3年(1806)、47歳頃までの間に集中して使っています。 ただ、この時期に興味深いことがひとつ。文化2~3年(1805~06)という限られた短い期間ですが、「画狂老人」という画号も使
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