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ブックマーク / klov.hateblo.jp (14)

  • メルカリとヤフオクのビジネス面での本質的な違い - 絶倫ファクトリー

    メルカリを使い始めた。TCGやらオーブン皿やら、色々とお得に変えて楽しい。 メルカリ含むこうしたフリマアプリは、CtoCのコマースというくくりでヤフオクと比較されがちだが、よく考えると質的には全然違う。ユーザーサイドから見てももちろん違いはあるが、ビジネススキームとして、原理が異なる。 オークションサービスは、モノの来の適正価格と実際の市場価格の差を利用して成り立っている。高額で取引される人気アーティストのライブチケットなどがそうだ。需給のバランスからしてゼロが一桁足りない定価でチケットが発売されてしまうため、オークションで高額で取引されることになる。極端な話、オークションサービスがどれだけ利益を出すかは、世の中にどれだけ適正価格から外れたモノがあるかどうかで決まる。逆に言えば、世の中のあらゆるモノが適正価格で売られた場合、オークションサービスは消滅する。 一方でフリマアプリは市場価格

    メルカリとヤフオクのビジネス面での本質的な違い - 絶倫ファクトリー
  • Web業界の人はそろそろPDCAという言葉を捨てたほうがいいんじゃないか - 絶倫ファクトリー

    PDCAは「小さな改善」を指すものではないし、そもそもWebサイト改善には向いてない。まずPDCAはP=計画ありきの「マネジメント」の話だし、Webはコントロールできない要素が多すぎて精度の高い計画立案が難しいからだ。 PDCAサイクルの出自は製造業の品質管理である。そしてPDCAという概念のキモは、「品質管理の話をしていると思ったらいつの間にかマネジメントの話をしていた。何を言っているのかry」である。例えば「C」は品質チェック作業はなく、品質のばらつき具合が事前の計画どおりだったかどうかを判断する。それはP=計画の検証そのものだ。製品の品質を管理するときに、単に品質チェックの「作業」を頑張ればいいのではない。品質の問題が生産工程全体のマネジメントの問題にスライドしていく。それがPDCAという概念の画期的な点だった。 だからPDCAというのは製造業だろうがWebだろうが、常にマネジメント

    Web業界の人はそろそろPDCAという言葉を捨てたほうがいいんじゃないか - 絶倫ファクトリー
  • 「Web解析ツール」は死に、「Predictive First」へと移行する - 絶倫ファクトリー

    新卒でWeb系企業に入ってから6年間、webサイト改善の仕事に携わってきたけれど、いわゆるこの業界で言われる一般的な「Web解析」のやり方というのは、もう時代遅れなのではないかとこの半年くらい考えている。正確に言えば、Adobe Analytics(以下AA)やGoogle Analytics(以下GA)といった「Web解析ツール」を使ってWebサイトの課題を見つけて改善点を洗い出し云々……と言ったやり方は古いものになりつつあるのではないか、という話だ。 点の改善 線の改善 AAやGAといった従来のWeb解析ツールの弱点は、サイト全体でユーザがどのように動いているのか、つまりサイト上でのカスタマージャーニーを把握できないことだ。直帰率の高い入口ページを見つけて改善する、CVしているユーザがよく見ているページを見る……これらは基的に課題がある、またはCVに寄与していそうな「点」を見つけて、

    「Web解析ツール」は死に、「Predictive First」へと移行する - 絶倫ファクトリー
    headless_pasta
    headless_pasta 2015/05/13
    点の改善より、線の改善を。そして線の改善の自動化を。
  • こじらせ女子とは何か - 絶倫ファクトリー

    こじらせとは、ワナビーと構造的に対になる言葉である。 過剰供給される「ありえるかもしれない自分」 人は様々な「物語」を生きる。消費社会はメディアを通じて私達に様々な可能性を見せる。時に人はそうした外部の物語が先行して、行動よりも願望が先回りしてしまう。ワナビーとは、「ありえるかもしれない自分」の亡霊に惑わされ続ける人のことだ。一方「こじらせ」はその逆である。いかなる「物語」も拒否し、生き方に迷う人々を指す。ワナビーもこじらせも、「ありえるかもしれない自分」を上手くキャッチできていない人種である。方向性がポジティブなのかネガティブなのか、ワナビーとこじらせの差はその違いにすぎない。 自分で自分固有の人生を回せない=自分の「物語」を持てない。それは今に始まった現象ではない。資主義以前の世界で、人々の物語は決まっていた。生まれた瞬間、たいがい人々の前に見えないレールが敷かれていた。資主義が浸

    こじらせ女子とは何か - 絶倫ファクトリー
  • 松谷創一郎『ギャルと不思議ちゃん論』 - 絶倫ファクトリー

    ギャルと不思議ちゃん論: 女の子たちの三十年戦争 作者: 松谷創一郎出版社/メーカー: 原書房発売日: 2012/08/24メディア: 単行購入: 19人 クリック: 697回この商品を含むブログ (10件) を見る ギャルと不思議ちゃんの系譜 「ギャル」と「不思議ちゃん」の系譜を追うことで、(若い)女性の文化史を紐とく。というよりも、女性が(積極的/消極的問わず)選択するスタイルの歴史が網羅的に書かれている。 基的には<コ>ギャルの歴史を追うことで書は進んでいく。80年代、若い女性が選ぶスタイルは「少女」だった。しかし90年代以降、そうした「少女」に対する社会のまなざし・欲望を逆手に利用する<コ>ギャルが登場する。彼女たちは自らに降りかかる性的なまなざしを、欲望を、期待を利用し、生きるための軸としていく。著者は彼女たちのそうした姿を「メタ少女」呼ぶ。 もちろん、こうした振る舞いは「

    松谷創一郎『ギャルと不思議ちゃん論』 - 絶倫ファクトリー
  • Gunosy がすごい - 絶倫ファクトリー

    昨日のエントリーで「自分に必要な情報を選ぶためのフィルターは淘汰される」という話を書いた。『閉じこもるインターネット』の著者は、メディアがユーザーの望むものだけを与えることで、衆愚的なコンテンツばかりになることを危惧していた。それ自体はすでに起きている事態だ。問題はそうした衆愚的なフィルター、つまり「みんなが見たがるものを私も見たい」という欲望に応えることのできるコンテンツと言うのは、そんなに種類として多くない。ほぼパターンが決まっているのである。フィルターを非常に作りやすい。そのため飽きられる速度もそれなりに速い。フィルター自身が淘汰されると書いたのは、そういうことだ。 最近、面白い「フィルター」を見つけた。「Gunosy」というサービスだ。TwitterやFacebookのアカウントを使ってサインアップすると、アルゴリズムを使って自分にあったニュースを探して配信してくれる。こう書くと「

    Gunosy がすごい - 絶倫ファクトリー
    headless_pasta
    headless_pasta 2012/06/17
    自分でも使っててGunosyの凄さはけっこう感じられる。オススメされる記事が似たような他サービスに比べて断然にちょうど良い。
  • Google の無い世界 あるいは女の子のウェブの歴史 - 絶倫ファクトリー

    これまで何度ウェブの歴史が語られたのか。それは知る由もない。そして、そのなかでどれだけ女の子たちのウェブ体験が体系化され、テキストとして残されてきたのか。それはそもそもそんなことがあったのだろうか。 ブログが流行し、SEOが市民権を得てからというもの、ウェブの歴史は常にGoogleを一つの転換点として語られてきた。Facebookですら、この巨人との比較を避けることはできない。 一方で、そうしたGoogle史観的な見方からこぼれおちるウェブの系譜も存在する。濱野智史『アーキテクチャの生態系』は、日におけるGoogleの外にある2ちゃんねるやニコニコ動画と言ったウェブサービスを体系づけた。 しかしそれでもなおウェブのタイムラインから抜ける視点がある。女の子のウェブ体験もその一つだ。「女の子ウェブ」の歴史は、ふみこみゅから始まりピグへと連なる。そこにはGoogleがなく、ガラケー(そしてau

    Google の無い世界 あるいは女の子のウェブの歴史 - 絶倫ファクトリー
  • ソーシャルメディアにおけるベネトン広告「UNHATE」の広まり方 - 絶倫ファクトリー

    「枠」を揺さぶるベネトンの手法 ベネトンの新しいキャンペーン「UNHATE」が話題になっている。 http://unhate.benetton.com/campaign/china_usa/ 敵対する国家首脳(一部宗教トップ)同士がキスしている写真が並ぶ。もちろんコラージュだが、かなり「物」っぽくできている。 ベネトンは、オリビエロ・トスカーニの手によるショッキングな広告を多く発表してきた。 http://www.ne.jp/asahi/box/kuro/report/benettonad.htm 今回の広告が彼の手によるものなのか分からないのだけど、これまでの路線を踏襲したものには違いない。 比較文化学者の今橋映子は著書『フォト・リテラシー』の中で、トスカーニのベネトン広告についてこう書いている。 トスカーニは、報道写真の媒体そのものを転移することで、すさまじい拒否反応を確信犯的に引き

    ソーシャルメディアにおけるベネトン広告「UNHATE」の広まり方 - 絶倫ファクトリー
  • ハイコストパフォーマンスな『Twitter社会論』 - 絶倫ファクトリー

    Twitter社会論 ~新たなリアルタイム・ウェブの潮流 (新書y) 作者: 津田大介出版社/メーカー: 洋泉社発売日: 2009/11/06メディア: 新書購入: 39人 クリック: 1,493回この商品を含むブログ (284件) を見る ジャーナリストの著者らしく、エピソードごとの掘り下げ方が深い。Twitterの黎明期の紹介にしても、SMSの進化形であるという点から、SXSWアワードを受賞していたエピソードまで、きっちり押さえている。Twitterの中では、かなり密度の濃いになっている。新書という厚さと値段を考えると、コストパフォーマンスがとても高い。 そうしたスタンスのせいか、Twitter上では「初心者向きではないのでは」という評価も散見される。だが初心者向けであることと、情報密度の濃淡はパラレルではない。扱うトピックが「広すぎる」なら、これからTwitterをはじめようとい

    ハイコストパフォーマンスな『Twitter社会論』 - 絶倫ファクトリー
  • 「情報×人」のブロゴスフィアから「人×人」のSNSへ―あるいは、ブログ論壇の終焉? - 絶倫ファクトリー

    以下全然根拠がない話をつらつらと。 「情報量×処理する人間の数=一定」…? 情報をひたすら羅列する雑誌が売れない、という話がある。ただ情報をカタログ的に載せるのではなく、読者にお勧めする、「教えてあげる」雑誌の方が好まれるらしい。『ぴあ』のリニューアルなどはそういう傾向の証左なのかもしれない。 技術は進歩するが、人間の情報処理能力はそう進化しない。インターネットが発達し、情報が溢れても、それを処理する力はそうそう上がらない。量の面からも質の面からも。 となると、人間が処理している情報の量は、常に一定なんじゃなかろうか。 「発信された情報×処理できる人間の数=定数α」みたいな感じで。 逆に言うと、多くの人間に情報を処理して欲しい場合、つまり多くの人間に情報を受け取って欲しい場合、発信される情報の量は少なくなければならない。ずらっと並んだ情報のバイキングより、シェフのお勧めコースの方が、同じも

    「情報×人」のブロゴスフィアから「人×人」のSNSへ―あるいは、ブログ論壇の終焉? - 絶倫ファクトリー
  • トライヴ/リアル/サバイヴ――『リアルのゆくえ』から - 絶倫ファクトリー

    リアルのゆくえ──おたく オタクはどう生きるか (講談社現代新書) 作者: 東浩紀,大塚英志出版社/メーカー: 講談社発売日: 2008/08/19メディア: 新書購入: 19人 クリック: 394回この商品を含むブログ (182件) を見る amazonの商品説明にある「「わかりあう」つもりのない二人」という表現がぴったりの。 東浩紀と大塚英志が四章300ページ超に渡って喧嘩するである。逆に言うとそれしか載っていない。 公共性は在り得るか 両者の違いは至って明確。文化、国家、論壇、さまざまな話題で彼らは対立しているが、その中心軸は「公共性の有無」である。大塚はアニメにせよ漫画にせよ、「作家」というパブリックな存在の重要性を強調し、国家論においては「公民」、社会のパブリックな側面にアクセスする態度を市民が持つことの重要性をとく。一方で東は、そうした個人の興味関心の幅を超えて社会のパブリ

    トライヴ/リアル/サバイヴ――『リアルのゆくえ』から - 絶倫ファクトリー
  • 我々は何を隠してきたのか、あるいは「不可能性」の変遷 - 絶倫ファクトリー

    不可能性の時代 (岩波新書) 作者: 大澤真幸出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2008/04/22メディア: 新書購入: 14人 クリック: 179回この商品を含むブログ (162件) を見る 大澤真幸『不可能性の時代』を読み返していた。つらつらとメモ程度に。 不可能性―現実と反現実の乖離 東浩紀や木原善彦が、大澤の(元は見田宗介の)命名法を援用して「理想の時代」「虚構の時代」に続く現代を「動物の時代」「現実の時代」と名づけていた。だがそもそもこの見田―大澤の「〜の時代」という命名法は「現実」の対義語としてどのような言葉が参照されているか、という考察に基づいているものであり、その考察を省略した命名法はオリジナルの意図には反するものである。(東については大澤との対談で直接指摘されていたようだ。) 大澤は、隠された「現実」を捜し求める「現実への逃避」と、ジジェクのいう「カフェイン抜きのコ

    我々は何を隠してきたのか、あるいは「不可能性」の変遷 - 絶倫ファクトリー
  • 「承認」だけでは済まぬ問題たち―物語と承認の彼方に - No Hedge!

    「承認」の話が自分の観測範囲内でちょくちょく見られるので後出しじゃんけんをしてみる。「ロスジェネ」のシンポでも色々話が出たようだが、パフォーマンスと言えどナイーヴな議論も出たようで、またいくつかの議論はその焦点がぼやけているものもある、と思ったので書いてみた。彼女が出来れば、セックスできれば、コミュニティに所属すれば、作品を認めてもらえれば、「承認」にまとわり付く諸問題は解決する、というわけではない。問題はその深層にある。 自己の連続性としてのアイデンティティ 「承認」と一口に言ってもそれは様々なコンテクストの中で語られ、また意味を持つ。だからこそはてな村で延々と議論されまた車輪の再発見をもたらしうるのだが、それではちょっとノイズが大きすぎるので、社会学者のアンソニー・ギデンズに拠って(彼の)「アイデンティティ」論に置き換えてみる。 まずは引用から。 自己アイデンティティは、生活史という観

    「承認」だけでは済まぬ問題たち―物語と承認の彼方に - No Hedge!
  • 「ゆるふわ愛されポストモダン」 - 絶倫ファクトリー

    「現代思想的なポストモダニズムで、男を誘惑する10の方法を大特集」 1.授業の席で、構造主義に乗せた手をそのままゆっくりとリオタールの「ポストモダンの条件」のほうに持っていっちゃえ! 2.無知のヴェールを口にくわえてさりげなく頭から落としちゃえ!男の子が「原初状態!」って言ったら、強引に首元に思考実験しちゃおう!! 3.男の子と二人っきりになったら、「○○くんって権力を内面化してるよね」って言って視線をかぷっとべてしまおう。「パノプティコン!」っとなって、男の子は自然と規律訓練型権力な気分になっちゃう 4.男の子にフェミニズムの読ませすぎは注意!あそこが、ふにゃふにゃになってしまうから。程よい量だったら問題なし。むしろ、手の届かないような保守主義者から抱かれてしまうかも(笑) 5.彼氏が中々積極的になってくれない貴方は、動物化するポストモダンにチャレンジにしてみよう。部屋の中で二人っきり

    「ゆるふわ愛されポストモダン」 - 絶倫ファクトリー
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