アムネジアに関するhelioterrorismのブックマーク (14)

  • 「記憶の暮方」について(3) - プヒプヒ日記

    アムネジア 作者:稲生 平太郎角川書店Amazon (承前) 「記憶の暮方」と「アムネジア」とはどちらも物語の消失、そして墜落のイメージで幕を閉じる。 一枚の紙、一冊の手帳、一冊の。 必死になって手を伸ばしても、届かない。つかめない。 記されている文字や記号がちらちらと明滅するけれど、繰り返し墜ちていくうちに、白熱する空間がすべてを灼き消していく。[…] 当の物語は失われてしまった。あるいは最初から存在しなかった。今回の物語の頁が閉じられるとき、この地上のどこにも戻るべきところなどなく、ただ、同時に天と奈落に向かって繰り返し、繰り返し墜ちていくしかない。ほとんど不可能というところまで目を瞠(みひら)いたが、もはや何も見えなかった。(『アムネジア』 pp.240−241) […]そして十五年後にもう一度見出した空の色は、伝説や文学作品のように親しいものではない。懐かしいものではない。 歓

    「記憶の暮方」について(3) - プヒプヒ日記
  • ある『アムネジア』論をめぐって4 - プヒプヒ日記

    * アムネジア 作者: 稲生平太郎出版社/メーカー: 角川書店発売日: 2006/01メディア: 単行購入: 1人 クリック: 8回この商品を含むブログ (40件) を見る* 『アムネジア』はまだ見つからない。もう探すのも億劫になってきた。を探しているとだんだんと部屋が散らかってきて惨憺たるありさまになる。あるいはこれが「あなたはそれを探してはいけない」ということだったのだろうか。そうか、探さないほうがいいのか! それなら気が楽だ。 アマゾンで見ても版元品切のようだし、かくなるうえは親切な小人さんが夜中にそっとポストに入れてくれるのを待つほかないのかもしれない。 * それにしても、この「あなたはそれを探してはいけない」を一読してまず感じたのは、「これは自分がかって読んだ『アムネジア』と同じについて書かれたものだろうか」という疑念だ。たとえば冒頭の映画のシーンなど拙豚はまったく覚えてい

    ある『アムネジア』論をめぐって4 - プヒプヒ日記
  • ある『アムネジア』論をめぐって3 - プヒプヒ日記

    * アムネジア 作者: 稲生平太郎出版社/メーカー: 角川書店発売日: 2006/01メディア: 単行購入: 1人 クリック: 8回この商品を含むブログ (40件) を見る* 『アムネジア』はまだ見つからない。ひきつづき現物を見ずに話を続けることをお許し願いたい。 * アムネジア(記憶欠落)と結びついた神秘体験といえば、まず次のようなパターンであろう。すなわち、雷に打たれたように啓示が閃いたあと、その内容を忘れてしまい、なにか比類を絶して素晴らしい体験をしたという漠とした印象だけが残る、というものである。いってみれば夢の中でトリックを思いついた推理作家のようなものなので、これを「夢の中のトリック」的神秘体験と名づけることにしよう。 しかしもちろん、記憶欠落と神秘体験は別の形でも結びつき得る。話を見やすくするためあえて卑近な例をあげると、たとえばあなたがある高価なを、清水の舞台から飛び降

    ある『アムネジア』論をめぐって3 - プヒプヒ日記
  • 2010-08-11

    文学フリマって何か特別な長所あるのかな。 * 文章系同人がサークル参加する場合、長所はたくさんあります。 当選率が高い。(場所が蒲田になってからは今のところ抽選なし) 参加費が安い。(7,500円対4,000円) 環境が優しい。(酷暑酷寒怪臭肉壁と無縁。並ばずにトイレに行ける) が売れる。(弊サークルの場合、倍以上の差がある) 往復が楽。(駅での超混雑なし) 遅刻の心配がない(10:45までに会場入りすればOK) ○偵○説○究会がものすごいテンションで呼び込みをして場を盛り上げてくれる。 などなど アムネジア 作者:稲生 平太郎メディア: 単行 『アムネジア』はまだ見つからない。不意ながら再読せぬまま続けねばならない。 この小説には一つのシンボルが登場する。それはまず縦の線がさっと引かれ。そこに横の線が三交わった形をしている。はやくいえばサイキックTVのシンボルマークだ。もちろん両

    2010-08-11
  • ある『アムネジア』論をめぐって1 - プヒプヒ日記

    * 論理の蜘蛛の巣の中で 作者: 巽昌章出版社/メーカー: 講談社発売日: 2006/10/13メディア: 単行 クリック: 9回この商品を含むブログ (24件) を見る* 昨日触れた石堂藍さんの『アムネジア』論はたいへんな力作であって、通り一遍の読み方しかしなかった拙豚にとっては、このpdfファイルの一ページ一ページが驚きと発見の連続であった。 しかし、それでもなおかつ、全体の論調には承服しがたいものを感じる。そうはいっても、もちろん石堂さんの読みにケチをつけるつもりはまったくない。一冊のは、それが稀有のものであるほど、いかようにも読めるものだ。 これから何日間かにわたって、石堂論と対比させつつ「自分はこう読んだ」というのをぽつりぽつりと書いていきたい。だがそのまえに『アムネジア』を発掘しないと……。以下、煩雑を避けるために敬称は一切省略。失礼な感じを与えるかもしれないがご了承を乞う

    ある『アムネジア』論をめぐって1 - プヒプヒ日記
  • 「『アムネジア』――あなたはそれを探してはならない」石堂藍

    1 『 ア ム ネ ジ ア 』 ― ― あ な た は そ れ を 探 し て は な ら な い 石 堂 藍 2 〈 扉 が き し み な が ら 開 く 音 が す る の 、 ぎ ー っ て ね 。 そ れ か ら 影 が 映 る ― ― 開 い た の 上 に 〉 人 も ま ば ら な 喫 茶 店 で 、 主 人 公 の 青 年 ・ 島 津 伶 の 恋 人 ・ 理 絵 が 映 画 の 説 明 を し て い る 。 語 っ て い る の は 映 画 の 最 後 の カ ッ ト 。 私 た ち ( 読 者 ) は 、 ど ん な 内 容 か 、 ほ と ん ど わ か ら な い 映 画 の ラ ス ト シ ー ン の イ メ ー ジ か ら 、 ひ っ そ り と 作 品 世 界 へ と 入 っ て ゆ く こ と に な る 。 ― ― 窓 の 外 に 広 が る 林

  • 『アムネジア』についての稲生発言

  • 稲生平太郎、『アムネジア』を語る! : 東雅夫の幻妖ブックブログ

    2006年06月11日13:12 カテゴリ幻妖日録 稲生平太郎、『アムネジア』を語る! 以前このブログで著者への質問を募りました、稲生平太郎『アムネジア』インタビューが、ようやくまとまりました。 かなり立ち入った質問にもお答えいただいているので必見ですぞ。 アムネジアposted with 簡単リンクくん at 2006. 6.11稲生 平太郎〔著〕 角川書店 (2006.1) 通常24時間以内に発送します。 オンライン書店ビーケーワンで詳細を見る ――まずは、作品執筆の契機と経緯を教えてください。 稲生 うーん、何か書こうと思ったんでしょうね(笑)。実のところ、最初はあからさまに、誰が読んでも実験的な小説というスタイルを考えていて、二、三年間そういう形で進めたけれど、ある段階でやっぱりこれではダメだろう、と。 ――どうしてですか? 稲生 やはり、あからさまに実験的というのは芸がないでしょ

    helioterrorism
    helioterrorism 2013/03/10
    以前、bk1にあった同内容の記事(http://b.hatena.ne.jp/entry/http://blog.bk1.co.jp/genyo/archives/2006/06/post_517.php)はブクマしていたけど、消えているのでこちらを再ブクマ。
  • 稲生平太郎『アムネジア』 - 偽日記@はてなブログ

    ●稲生平太郎『アムネジア』。こういう「お話」は、どうしても気になってしまう。それは、子供の頃に天澤退二郎の童話を好んでいたり、最近のものはちょっと安易なのではないかと疑問を持ちつつも松浦寿輝の小説が気になってしまうというのとも繋がる、ぼくの根深い「好み」の問題であろう。「物語」に対する欲求(あるいは物語の吸引力)というのは、目新しいこと、新鮮なことを聞きたい、知りたいと望むというのではなく、自分が既に良く知っていることを、他人の口を通して改めて聞き直したい、ということなのではないかと思う。 ●この物語では、一見、記憶という基盤が(降りしきる「雨」とともに)崩落してゆき、それと共に「私」の根拠が崩壊してしまう様が描かれているようでいて、実は、記憶によって支えられているのは、社会的な、他者との共通了解によって成り立っている世界であって、主人公はそこから撤退して、「私」にとっての「懐かしいもの」

    稲生平太郎『アムネジア』 - 偽日記@はてなブログ
    helioterrorism
    helioterrorism 2013/03/10
    古谷利裕さんによる稲生平太郎『アムネジア』評(2006/02/20)。
  • Krafty | 稲生平太郎『アムネジア』

    アムネジア 稲生 平太郎 大阪のとある編集プロダクションに勤める主人公の島津伶は自分が関わっている社史の編纂の仕事において、たまたま読んだ新聞記事に登場した老人の名前が先方から渡された資料の中に登場することに気付く。そして先方からその記事が掲載される以前に、社史からその名前の出てくる部分を削除して欲しいという連絡がなされていた。戸籍上は既に死んだことになっている人間であり、路上で吐瀉物を喉に詰まらせて死んだという、それだけの記事でありそれに見合った知名度しか有しない人物に過ぎないにも関わらず、伶はその人物のことが頭から離れない。恋人の理絵の伝手を頼んでコンタクトすることが出来た事情通の新聞記者である澤申と出会った席で、その老人である徳部弘之は闇金融に一枚噛んでいたという噂を知らされる。実際に徳部が亡くなった後に澤は残された彼のに取材をするべく赴いたのだが、新聞記者だという素性

  • 2006-07-16

    アムネジア 作者:稲生 平太郎角川書店Amazon せっかくの『アムネジア』スレは>>1のせいもあって大荒れだ。この作品の信者がみんながみんな異常とまではもちろん言わないけれど、祭壇の前でむやみに香を焚いてばかり、という気はほんの少ししないでもない。よってここでちょっとばかり自分の読みを記してみる。 心身問題というものがある。心(自我)は脳内でおこる物理的・化学的作用に帰着できるものなのか。言葉を代えて言えば心を持つロボットが果たして作れるものなのか。これはレムの関心とも重なるテーマだ。そしてレムの答えはどうやらイエスらしい。 それじゃお前はどう思うのかと言われると、もちろんレム派である。哲学的センスに欠けているせいもあって、哲学者の人の議論は、そもそもスタート時点の問題設定自体をよく理解できてないと思う。だいいち「比類のない私」というような唯我論じみた発想にはほとんど共感できない。「オレ

    2006-07-16
  • 幻妖ブックブログ: 稲生平太郎、『アムネジア』を語る!

    以前このブログで著者への質問を募りました、稲生平太郎『アムネジア』インタビューが、ようやくまとまりました。 かなり立ち入った質問にもお答えいただいているので必見ですぞ。 ――まずは、作品執筆の契機と経緯を教えてください。 稲生 うーん、何か書こうと思ったんでしょうね(笑)。実のところ、最初はあからさまに、誰が読んでも実験的な小説というスタイルを考えていて、二、三年間そういう形で進めたけれど、ある段階でやっぱりこれではダメだろう、と。 ――どうしてですか? 稲生 やはり、あからさまに実験的というのは芸がないでしょう(笑)。そういうところが表面には出ていなくて、でも、質はすこぶる過激というのがいいのではないかと思って、方針を大きく変えました。と同時に、読者に読みやすい形、読んでもらえる形にしたかった。でも、それで、すんなりいったわけじゃなくて、むしろそこからが大変だったんですけどね。

  • 『アムネジア』稲生平太郎: Lエルトセヴン7 第2ステージ

    『アクアリウムの夜』の著者による15年ぶりの新作ということで、一部で注目(なのかな)の、稲生平太郎の『アムネジア』であるけれども、これがじつに読ませる、というか、読まされるといったほうが的確か。率直に、物語(の内部)に引き込まれたという有り体の感想を述べることこそが、あるいは作品の質をもっとも正確に捉まえるのかもしれない。80年代初頭、大阪、ちいさな編集プロダクションに勤める〈僕〉は、たまたま広げた新聞のなかに、そのとき携わっていた仕事との奇妙な関連を発見する。〈僕には何の関係もないことなのだから。こんなつまらないことが気にかかるなんて、どうかしているのかもしれない〉と思いながらも、しかし、なぜかそのことを調べられずにはいられない。やがて、見知らぬ男の死が、どうしてだろう、自分のアイデンティティと、深く、どこかで結びついている、そんな感じもしてくるのであった。 はっきりといえば、物語その

  • http://www.microstory.org/gakusi/diary/20060206.html

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