ブックマーク / projectitoh.hatenadiary.org (24)

  • 2008-12-14

    とはいえ、またすぐ入院するのだけれど。なんだかガンマ線ナイフというのを患部に当てるらしく、意味もなくわくわくしている自分がいる。CT、MRI、PET、骨シンチ、とありとあらゆる医療機器に放り込まれてきた自分ではあるが、今回は名前に興奮する。ガンマ線ナイフ。響きが大変素晴らしい。ガンマ線ナイフ。なんだかプログレッシヴナイフのような響きを感じる。他には重粒子線というさらにSFっぽい抗がんデバイスがあるのだけれど(千葉にあるらしいのいだが、保険がきかず、一カ所300万円近くするらしい)、わたしの症状はそちらの適応には向かないらしい。 退院している一週間の間にどれだけの映画が観られるのか。外に出る体力がメチャクチャ落ちているのでそうたくさんは観られないだろう。「エグザイル/絆」「WALL.E」「トロピック・サンダー」「地球が静止する日」「K-20」「ワールド・オブ・ライズ」あたりは行っておきたいと

    2008-12-14
  • 余談2- 伊藤計劃:第弐位相

    以下のセンテンスまたは類似の言葉を使っている映画評は信用できないorつまらない、というワードを淡々と列挙するよ。 ストーリーが読めてしまうからよくない エンターティメント(娯楽映画)としてはすばらしい 芸術としてはすばらしい 人物描写が浅い(薄い)からよくない 人物描写が深い(しっかりしている)からいい テーマが深いのでいい テーマが浅いのでよくない テーマが見えてこないのでよくない テーマが描けていないのでよくない ある社会との関連が薄いのでよくない ある社会をよくとらえているのですばらしい ある思想なり社会批評なりが描けていないからつまらない ある思想なり社会批評なりが描けているからよい 登場人物に感情移入できないからつまらない と書いている人。基的に、「自分が読めていないだけなのじゃないだろか」ということに疑いを差し挟まない系の言葉ばかりです。例を挙げると、「人物描写が浅い」という

    余談2- 伊藤計劃:第弐位相
  • Watch the world burn. - 伊藤計劃:第弐位相

    そうとも! 教会のなかじゃ、ゲスな事を想像しろ! ホワイトハウスにゃ、正直さを教えてやれ! 会ったこともない奴に、 使われてもいない言葉で手紙を出せ! 子供の額にゃ、ヒワイな文句を書きなぐれ! クレジットカードを捨てて、ハイヒールを履け! 精神病院のドアは開いてるぜ! お上品な郊外を、殺人と強姦で埋め尽くせ! 聖なる狂気よ! 快感よ満ちよ!あらゆる街路に! 笑え、そうすりゃ 世界も一緒に笑うぜ! 「バットマン:アーカム・アサイラム」 「パトレイバー2」以来だろうか。 これほど自分の魂にぴったりくる映画は。 他の人がどうかは知らないけれど、フィクションという手段で自分は何が観たいのか、という自分が抱いてきた「気分」に、かなり精度の高い答えを提供してくれる種類の映画だ。 バートン版のジョーカーはおとぎ話の人物だった。というよりも、バートン版のバットマンはおとぎ話として作られていた。ニコルソンの

    Watch the world burn. - 伊藤計劃:第弐位相
  • 2008-04-15 - 伊藤計劃:第弐位相/「メタルギアソリッド ガンズ・オブ・ザ・パトリオット」

    http://www.kjp.konami.jp/gs/hideoblog/2008/04/000272.html 確認したら、この回だけで「躁Death姐」「SAWで脛」「Thorですね」と20回もほざいている俺サマー。主体性ゼロ年代、Mr.イエスマン。いや、別に無理して相槌打っているわけではなく、当にそうだと思ったからそうですねと言っているだけなのですが。口癖というやつにこの歳になって気がつく私。 というわけで、Hidechan Radio 出演させていただきました。 上記webradioで触れていますが、いわゆるノベライズを担当させて頂きました。 http://www.kjp.konami.jp/gs/hideoblog/mgsbook.html いわゆるじゃなくて当にノベライズですが、なぜか原稿枚数が950枚にもなりました。分量的には「虐殺」の130パーセント強です。普通に分厚

    2008-04-15 - 伊藤計劃:第弐位相/「メタルギアソリッド ガンズ・オブ・ザ・パトリオット」
  • 理由と喪失 - 伊藤計劃:第弐位相

    都写真美術館にて「カルラのリスト」を見る。 国際刑事裁判所(ICC)や旧ユーゴスラビア戦時法廷(ICTY)はハーグにある。ハーグはオランダだ。だから別にどうということではないのだが、 戦犯はスケベニンゲンに収監されている。 だから、ミロシェビッチもスケベニンゲンだった。 と、この映画の最後に知った。だからといって深い意味はない。 深い意味はない。 http://www.hayakawa-online.co.jp/product/issue_schedules/book/list.html ストロスの「ラブクラフト+スパイ」もの、 "The atrocity Archives" が12月に邦訳が出るらしいですよ! http://en.wikipedia.org/wiki/The_Atrocity_Archives によると「コールダー・ウォー」はネタは似てるんだけど、まったく別の話だそうです

    理由と喪失 - 伊藤計劃:第弐位相
  • 2007-08-02

    http://sanseido-eventhonten.hontsuna.net/article/1909082.html 円城さんとなんか喋ります。溶けながら。よろしければどうぞ。 Boy's Surface読んでから、何も書く気が起きません。 デジャヴ(DVD) The Bourne Ultimatum Original Soundtrack(CD) エル・アレフ(なんか別の短編集と内容が被っている気が・・・)。 「デジャヴ」はどこにも書いていないけれど、実はトニスコと脚家とカイマーのコメンタリーつき。「監視の窓」ってやつがそれ。変な名前つけられてもコンテンツの中身がわからなきゃしょうがないじゃん。「あ、コメンタリーないのか。買うのやめた」ってDVD,俺けっこうあるんだけど。 ボーン音楽はなんかオケがリッチになって、音にふくらみが出た分ソリッドさがなくなった感じ。うーん、これがグリー

    2007-08-02
  • 2007-07-02

    「傑作だけど地味」「傑作だけど長すぎ」「傑作だけど寝る」 そんな評判を至るところで目にしてから赴いた映画館。いい映画なんだが地味で淡々・・・とはいえ、ぼくのフィンチャーに対する印象って最初(「エイリアン3」)から、オフビートな時間をだらだら垂れ流すひと、だったので、あまり気にはならなかったのだけど。「セブン」って時間の流れも物語りもすごく弛緩した映画だと思うし(理由はある)、あの傑作「ファイト・クラブ」にしたって、編集のリズムはフィンチャー特有の「ダラダラ進行」だったと思う(たとえば「ファイト・クラブ」をダニー・ボイルあたりが撮ってたら、もっとガンガン進行型ポップ映画になったんじゃないでせうか)。 でもまあ、上映時間約2時間40分とか聞くと、さすがに「フィンチャーのダラダラ進行を160分は流石に辛いかも……」と自分も構えてはいたのです。いま体調的にもアレだし。で、映画が始まったのだけれども

    2007-07-02
  • 皆殺しの野 - 伊藤計劃:第弐位相

    http://www.hayakawa-online.co.jp/product/books/124636.html 日発売。週末までには並ぶところには並ぶはず。 Self-Reference ENGINEという傑作の後にはいかにも直球な物語ですが、ひとつよろしくお願いします。 とりあえず、「いや〜、あんな傑作のあとに俺が出すって辛過ぎね?」と私が気に病んでいたの作者であらせられる円城さんには気に入っていただけたようで、一安心。 なにがいいたいかというと、 「Self-Reference ENGINE」はすごいねえ、という事でして。え?わかってる?さいですか。 万が一「Self-Reference ENGINE」て何?という人がいたらすぐに屋さんに行くやうに。ついでにぼくのも買ってくださると感謝。

    皆殺しの野 - 伊藤計劃:第弐位相
  • 2007-04-14

    役者の顔が、映画の物語と幸福な関係を取り結ぶことがある。 南ア出身の傭兵、という設定を聞いたとき、あれれ、と思ったものだ。「ブラッド・ダイヤモンド」。ディカプリオが傭兵ですか。私はどうも、ディカプリオの「髭つき」の顔が好きではない。「ギャング・オブ・ニューヨーク」に「アビエイター」。スコセッシが何を考えているのかさっぱりわからないのだけれど、なんでこんなベビーフェイスにスコセッシは髭をつけたがるのか。はっきり言って、ぼくにはそれらの役の髭がドリフ並みの付け髭にしか見えない。いやもちろん付け髭は付け髭でかまわんのだけれども、映画の中で髭をつけた彼の顔は、まるでコントだ。髭がまるで顔になじんでいない。 これはひとえに、ディカプリオの童顔の特殊な性質によるものではないか、と思う。ディカプリオが髭をつけると子供おっさん化してしまうのだ。そして、この映画の主人公であるダニーは、南ア出身の傭兵だったと

    2007-04-14
  • 2007-03-11

    なんか凄いものが出てきたので。 ちなみに私のものではない。飯島は好みではなかったので当時完スルーだった。同時代のAV女優って言うとどのあたりになるのかな・・・。妙な話だけれど、映画体験と違ってAVって歴史性が完璧に欠落してるよな、俺の場合。いつごろどの女優をみていたのかまったく記憶に無い。 テレカという媒体ともども、時代を感じる。 関係ないが、最近「新基準モザイク」と称して昔のAVを現在のモザイク粒度で再モザイキング(なんだか自分で書いててもよくわからないが)してDVDで出しているようだ。星野ひかるとか小室友里とか古都ひかる(はそんな昔じゃねえな)とか。 「新基準」という単語が、なんだかあたかもISOやJISのような国際的なあるいは国家的な審査機関を想定させておもしろいのだが、文学もそういうリライトをして売り出したらどうだろうか。「ロリータ(新基準描写版)」「家畜人ヤプー(新基準描写版)」

    2007-03-11
  • 2007-02-18

    認めたくないことだが、世界はおっさんによって動いているのだった。 何をいまさら、と言われるだろう。あるいは、女性だっているじゃないか、と言われるかもしれない。国会中継を3秒見ればそれくらいのことはわかりそうなもんだ。「生む機械」「健全な」発言の柳沢さん、あれについて女性の権利を云々、とか言葉尻捕らえてこのマスゴミ云々、とか右左いろいろ言い合ってはいるけれど、皆まずなによりあれがきわめて美しくない、という単純な事実を忘れているのではあるまいか。あれはきわめておっさん的発言であり、おっさん的思考なのだ。世の中には「おっさん」というきわめて美しくない、存在そのものが無様でいかんともしがたい生物が存在しているのであり、厄介なことに政治家になる人間というのは、多かれ少なかれおっさんを属性として持っている人間なのである。私に言わせれば、政治家になる女性もすべからくおっさんである。おばはん、ではない。あ

    2007-02-18
  • 2006-12-02

    http://d.hatena.ne.jp/shimasemi/20061202/1165077104 この文章に触発されて、いろいろ思考が沸いてきたので、ちょっと書いてみようかと。 「東西冷戦が終わってスパイ映画は作りにくくなった」 という話を書いている人がよくいます。ソ連、ひいては共産主義という悪役を失ったから、つまり大きな物語は死んだわけで、その他もろもろ。 さて、たとえば007シリーズを観てみましょう。007の敵は共産主義だったでしょうか。もちろん違います。スペクターだったり大金持ちだったりブードゥーだったり、そのバリエーションはさまざまですが、ソ連自体が悪役の007映画はほとんどありません。 確かに、50年代に書かれた原作小説はソ連が「敵」でした。ところが、ケネディとフルシチョフの「雪解け」がはじまった60年代に制作がはじまった映画では、ソ連が悪役の座には着いていないのです。00

    2006-12-02
  • 2006-11-27

    ある青年が癌になった。それはどうしようもなく進行していて、余命は3ヶ月だと診断された。3ヵ月後、彼はこの地上から消えることになる。 死を目前にして、すさまじい恐怖の中ですさんでゆく男。それはまるで、残り少ない命を無駄遣いするかのように。死にたくない、死にたくないと叫びながら、彼は手首を切る。死にたくないのに怖いから死んでしまおうという倒錯が彼を捉える。 しかし、そんな彼の前に、ささやかな奇跡が訪れた・・・。 という物語があったとして、主人公が癌になった「理由」なんて求める読み手や鑑賞者がいるだろうか。もちろんいない。若くして癌になるのに、そもそもほとんどの場合理由などないからだし、物語の主眼は、彼が癌によっていかに絶望へと叩き込まれ、そこからささやかな希望を足がかりにして、残り少ない命をいかに見つめなおすか、というところにあるからだ。このお話を見たあとで「でもさ、主人公ってなんで癌になった

    2006-11-27
  • 伊藤計劃:第弐位相 - ワンカットの子供たち(トゥモローワールド)

    「ガンコン」という自主映画コンテストがある。月刊GUNという銃オタ(の中でも割と実銃思考というどマイナーな方向性の)雑誌でやっている、劇中に銃が用いられていれば何でもオッケーという作品を募集するコンテストで、まあアクション物が多かったりする。審査員には押井守の名前もあって、毎年秋にロフトプラスワンでやる授賞式にはちゃんときて講評をしゃべったりする。それが割と充実したしゃべりなので、ミーハーな押井ファンの僕は出品者でもないのにその授賞式に行って、押井さんの講評を聴く。 なんか前置きが長くなりましたが、去年だったか、ある作品のあるカットに対して、押井さんはこう言ったのだった。 「あれはカットを割るべきです。虚構なんだから」 それがどういうカットかというと、レプリカントがものすごい跳躍をワンカットでする、というのを真横から捉えた映像で、CGを使って実現していた。ぼくは結構、おおっ、となったのだけ

    伊藤計劃:第弐位相 - ワンカットの子供たち(トゥモローワールド)
  • 2006-10-02

    mixiで教えていただいたネタですが、 http://blog.livedoor.jp/hirayama6/archives/2006-10.html#20061002 題名は「まんま」SFとしてのネタを解説している直球ネタバレタイトルなんで、嘘はついてないんですけど、今にして思うと派手な題名を付けたような気が・・・。 MIXIで公開している冒頭を読んだ方は想像がつくと思いますが、どちらかというと「終わりなき平和」みたいなミリオタSFなんで(大森望さんには「戦時生活」みたいだと言って頂きましたが)・・・。 「夢と魅惑の全体主義」 「小説のストラテジー」 「誘惑される意志」 などを買う。痛くて映画館に行く気力がなく、どうしても家でDVDか読書かになってしまうここ最近。 まあ、体に穴があいたままなんで仕方ないといえばそうなんですが。 東京国際映画祭チケット戦争伊藤篇 「父親たちの星条旗」× 「

    2006-10-02
  • 2006-09-04

    アメリカはマーチの国だ。 アメリカほどマーチが好きな国はそうないのじゃないだろうか。日人の我々にとって、パチンコのイメージが染み付いた軍艦マーチはいまやギャグでしかないし、「威風堂々」もなんか行進つーよりは典雅な感じ(いや、勿論行進曲なんだけど)。マーチ王、なんてものすごい渾名をもつジョン・フィリップ・スーザの「星条旗よ永遠なれ」なんて、もうごりごりのマーチ、って感じがする。 「ユージュアル・サスペクツ」以来、いろんな映画音楽からのコピペで済ますジョン・オットマンと一緒にやってきたブライアン・シンガーは、あんま音楽に興味のない監督なのだろう。と思っていた。しかしそれが今回の「スーパーマン リターンズ」では、驚くべき効果を上げることになる。 この映画がもしかして面白かったり、神々しかったりしたとしたら、それは間違いなく音楽のせいだ。もちろん、それはオットマンの音楽ではない。ジョン・ウィリア

    2006-09-04
  • 伊藤計劃:第弐位相 - はじめて書いたおはなし

    http://movies.yahoo.com/feature/dejavu.html トニスコ新作の予告編。またデンゼル。んで、ジム・カヴィーゼルにヴァル・キルマー。Pはカイマー。カイマーがPでしかも脚がトニー・ロッシオ&テッド・エリオットとゆーカリブの海賊組。 Hidechan Radio: http://www.blog.konami.jp/gs/hideoblog/2006/08/001916.html の小島さんコミック・コンヴェンション参戦記で、ハリーさん(ハリー=グレッグソン・ウィリアムズ)が次の仕事と言っていたので、思い出して予告編を探したらあったのがこれ。カトリーナでスケジュールが遅れ、一旦降板したのがこいつですな。けれど、マイ・ボディガードといい、ドミノといい、あまり報われない音楽の使い方をされているハリーさん。「スパイ・ゲーム」とかは好きなんですけどね。がんばれハリ

    伊藤計劃:第弐位相 - はじめて書いたおはなし
  • 伊藤計劃:第弐位相 - 映画の中の、架空の才能

    私が、矢沢あいの「NANA」や惣領冬実の「THREE」とかいったバンドを描いた漫画を受け入れられるのは、それが漫画だからだ。だって漫画で歌そのものは描けないし、絵画そのものも描けないんだもの。そこにあるのは歌や絵画の表象にすぎないんだもの。 個人的な生理の話なんですが、映画で見るとどうにも自動的に白けてしまう、というよりは苦痛に近いものがあって、それが何かというと、映画の中の架空の絵画や歌やそのライブや展覧会だったりするんですわ。 ということを映画の「ハチミツとクローバー」を観ながらずっと考えてたんです。 この映画にはすごい絵を描く女の子が出てくるわけです。すっごい彫刻を彫る男の子も出てくるわけです。でもその絵を描いている過程がすっごく観ていてツラい。映画の中にある絵画や歌、というのが芸術内芸術というメタっぽさをまとったシロモノではあるわけですが、それが多くの人を感動させていたり、熱狂させ

    伊藤計劃:第弐位相 - 映画の中の、架空の才能
  • 2006-06-18

    カネシュー。 ロリロリな妹とか香椎とか撮ってるときは物凄くいきいきとしているカネシュー。 そのかわり藤原君をものすごくゴッツい輪郭で撮ってそれをなんも気にしないカネシュー。 大変わかりやすくて素晴らしい。 こうなると、後編に期待するのは 「ミサのおしっこしてるとこ見れるよ……楽しくない?この……変態!」 「ぼくが……変態?」 の場面をカネシューがどう撮ってくれるかだけということになる。頑張れカネシュー。 いや、ものすごくいらない場面なんで切られるだろうけど。 というか、漠然と美形だと思っていた藤原君が思ったより大人の骨格でアゴとか無茶苦茶しっかりしてて、ぶっちゃけ超絶美形天才のライト君に見えなくて困った。ただ、藤原君が頭よさそうに見えないのは、藤原君のせいではなく、明らかにそれを目指していない演出のせいである。映画なのだから漫画そっくりの美形でなくともかまいませんが、話の構造上頭はよさそう

    2006-06-18
  • 伊藤計劃:第弐位相 - さてここでクエスチョンです

    スピルバーグは「ジュラシック・パーク」を映画化したとき、原作の八割をどぶに捨てた。 ぼくはマイケル・クライトンが好きだ。「仏作って魂入れず」などとSFファンの多くから非難されるクライトン師匠であるし、ぼくも「まあ、その通り」とクライトン作品が好きであるにも関わらずそのことは認めざるを得ない。しかしあまり頭がよろしくないぼくにとって、googleがなかった時代、クライトンの作品は「知らなかった世界」に扉を開いてくれる啓蒙の書だった。世の中にはこんな新しい発見がある!世の中にはこんなに面白いことがある!それをフィクションの形をとって面白く物語ってくれるのがクライトンという人だった。 「琥珀に閉じ込められた古代の蚊が吸い込んでいた血液のDNAから恐竜をクローン再生する」 いかにもっともらしい嘘をつくか、という命題をエンタメ要素とするSFにおいて、こいつはワクワクするようなアイデアだった。思えばこ

    伊藤計劃:第弐位相 - さてここでクエスチョンです