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2009年10月19日のブックマーク (7件)

  • 谷川俊太郎/ポエトリージャパン - なんでもおまんこ

  • ブックマン社 – 九段下・東京

  • 作家の読書道 : WEB本の雑誌

    作家の読書道 作家自身は、どんな「屋のお客」なんだろう?そしてどんな「の読者」なんだろう? そんな疑問を、作家の方々に直撃インタビューです。 第262回: 澤田瞳子さん (2024年3月22日更新) 2010年に奈良時代が舞台の『孤鷹(こよう)の天』で小説家デビュー、以来さまざまな時代、さまざまな切り口の時代・歴史小説を発表、明治から大正を舞台にした『星落ちて、なお』で2021年に直木賞を受賞した澤田瞳子さん。実は幼い頃から大変な読書家で、授業中にもを読んで叱られていたのだとか。膨大な読書遍歴の一部と、歴史ものに興味を持ったきっかけや、プロデビューの経緯などおうかがいしました。

  • 山田順子ははたして「美人」か - qfwfqの水に流して Una pietra sopra

    ――島崎藤村は要らないを海に捨てたそうである。 ほんとですか島崎先生。なんと御無体な。 「先生はが少したまると、品川沖まで小舟でこいで行って、水葬にして来られたのである。」透谷全集の編纂で知られる文学史家の勝清一郎が随筆集『こころの遠近』所収の「藤村の憶い出」で伝えるところで、これを引用しているのは鈴木地蔵の「尻子玉――勝清一郎の行蔵」、新著『文士の行蔵』の巻頭に収められた論攷である。 行蔵とは論語にある言葉で出処進退の謂。著者は勝のエッセイから藤村と勝とのつながりの探索に乗り出し、その探索行のあれやこれや――林達夫の言葉を借りれば「てんやわんや」――を、年刊誌「文游」に四年越し、三回に亙って綴ったのが「尻子玉――勝清一郎の行蔵」で、「島崎藤村は要らないを海に捨てたそうである」はその冒頭の一文である。 藤村は寄贈された不要のを古屋に売り払うのを潔しとせず、かといって他人

    山田順子ははたして「美人」か - qfwfqの水に流して Una pietra sopra
  • コメント欄でブーゼマンのパンツ:空飛ぶパンツのようなもの - 野尻blog

    『そらのおとしもの』という、中2願望が結晶化したようなアニメが始まった。ひどい言いようだが、公式サイトでも「人は誰もみな、中2という翼を持っている」「落ちモノ妄想コメディ」と掲げているのだからしかたがない。 ラノベ業界に片足を置いている(と思う)私は、こういう視聴者に迎合しまくった作品に辟易する。脳を甘やかした青少年がバカになっていくのを憂えてもいる。だが、この動画を観て居ずまいを正した。 CGで精緻に造形されたパンツが羽ばたき、群れをなして空を渡っている。その動きは鳥そのものだ。個体としての鳥だけでなく、編隊を組む様子が実に見事である。おそらくboidプログラムのようなものを使っているのだろう。V字編隊を組む様子は雁のようだが、飛び立って乱舞するさまは鳩や椋鳥のようでもある。そして最後には固定翼モードになり、マッハ3で巡航するSR-71を追い抜いてゆく。この速度域では羽ばたき飛行などあり

    コメント欄でブーゼマンのパンツ:空飛ぶパンツのようなもの - 野尻blog
  • センコロール・supercell・新海誠――商業作品と個人制作作品をめぐって - 反=アニメ批評

    アニメ雑記どうも、またまた久し振りの更新です。 いやはや、しかし、ぼくが夏アニメも碌に消化できていないでいるというのに、世間ではもうすでに秋アニメも2週目、3週目に突入しようとしているんですね、怖……。もうほんと、多忙ゆえにほとんどアニメも観れていない生活を送っているのですが、ただ、忙しいのは皆同じなわけですし、更新できない理由を忙しさのせいになどしないという健気な人物を演出するため、当ブログではその事実を伏せておくことにします。 そんなわけで、皆が新作アニメのレヴューで盛り上がっている中、その話題に乗ることができないわれわれは、代わりにほとんど話題にもなっていない、そのうえ既に公開が終わってまでいる劇場公開アニメの話でもしてみようと思います。といっても、何もわざわざマイナーな作品を選ぶことで、「われわれは周りとは目の付けどころが違うのですよ(笑)」、という中二アピールをしては冷笑を買おう

  • いわゆるロストジェネレーションは親の介護をどうするのか、という話 - pal-9999の日記

    しかし、もはやそんな時代ではない。会社に奉仕して無理して体こわしても、挙句に放り出されるのが関の山だ。それよりも、いざというときには助け合う家族のほうに、普段からエネルギーを注いでおくのが当然。そういうふうに、だんだん変わっていくだろう。 私自身は女だから、終身雇用という幻想は過去にただの一度も持ったことはなく、だから社畜になるというインセンティブも全くなかった。会社のために無理して体を壊しても、誰も面倒など見てくれない、バカバカしい、自分と自分でつくった家族でなんとかしなきゃいけない、という考え方をずーっと持ってきた。今の若い層の方々は、おそらく私と同じ考えなのだろうと思う。 心配しなくても社畜はしばらくしたら絶滅するだろうけど という記事を読んで、どうにもこうにも気になってた話をちょいとばかり。というか、まぁ、ここ数日くらい、はてな界隈で話題になってた話は、最終的に「団塊世代の介護や医