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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/ykurihara (3)

  • 「20年後の10代と尾崎を聴く!〜「15の夜」「卒業」「シェリー」はどう響くのか?」 - おまえにハートブレイク☆オーバードライブ

    香山リカ『ぷちナショナリズム症候群』(02年)が話題となったことはまだ記憶に新しいが、論壇ではまったく取り沙汰されなかった部分に、論壇以外の場所でだけちょっとした波紋を呼んだ記述があった。最近の若い奴は尾崎豊が何いってるのかわからないらしい、とそこには書かれていた。〈大学でこの『卒業』や『15の夜』といった尾崎の代表曲を一八、一九歳の学生に聴かせて感想をきいたところ、多くの学生が「何を怒っているのかわからない」「ひとりよがりの詩で不愉快だ」などと否定的なことを述べた。(中略)歌詞の内容に共感できると答えた学生は約一〇〇人中わずか二人だけだった〉また香山リカが適当なことをいってんのかとか思ったのだが、なーぜ「シェリー」を聴かせない? などとことあるごとに話題にしていたせいで、編集部からは「シェリー栗原」なんて呼ばれる羽目に。ようしわかったこの際だ、この不肖シェリー栗原が、18、9歳の連中に「

  • おまえにハートブレイク☆オーバードライブ

    『東京新聞』の匿名コラム「大波小波」で取り上げられていたと新曜社からファックスが送られてきていた。2008年9月19日付夕刊、タイトルは「盗作貧乏」で筆名は「望遠鏡」。おおようやく取り上げてくれたか。いまどき「大波小波」という固有名詞があんだけ出てくるないんだから、もうちょっと早く頼むぜー、と喜んだのだが……。栗原裕一郎の『〈盗作〉の文学史』(新曜社)は話題になるだけのものをもっているが、隙間がないわけではない。たとえば数年前片岡直子が指摘した小池昌代の〈盗作〉問題などには触れていない。小池が文壇の寵児であったためメディアが対応に困り、ほとんど記事が出なかったせいであろう。片岡のそれ、あえてスルーしたんですよ。『週刊文春』がスクープした『恋空』の盗作疑惑なんかと同類で、しょうもなさすぎるので。望遠鏡氏は、あれをまともに取り合うべきものだと思っているわけですか。片岡の問題の文章は、「インス

  • 誰がラッセンを求めていたか - おまえにハートブレイク☆オーバードライブ

    ラッセンの絵は日的な癒しや郷愁とはかけ離れているかもしれないが、日人に一番多い((c)ナンシー関)とされるヤンキーの趣味には意外にも合致。むしろヤンキーにとっての癒しがラッセンに凝縮されている、と言ってもいいくらいの感じだ。アート業界周辺は、もともとヤンキー濃度が低い。若い層もどっちかというとオタク、サブカル系が多く、ヤンキー的なものとはソリが合わない。だが、ヤンキー・メンタリティは日人の中に薄く広く浸透している。それがボリュームゾーンなのである。ラッセンとは何の恥部だったのか - Ohnoblog 2ラッセンの受容層がヤンキーというのは違うような気がします。ヒロ・ヤマガタ、ラッセンその他もろもろは当時、嘲笑を込めて「インテリア・アート」と呼ばれていた記憶があるけれど(「アールビバン系」でもいいんですが)、画家ごとにターゲットがセグメント化されていたかといえばそうでもなくて、じっさい

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