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ブックマーク / kanimaster.hatenadiary.org (4)

  • 樋口一葉と『文學界』の男たち - 蟹亭奇譚

    『にごりえ・たけくらべ』(新潮文庫)の巻末年譜に、次のようなことが書かれている。 明治二十二年(一八八九) 十七歳 三月、事業は失敗し破産状態となり、一家は神田区淡路町二丁目四番地へ移った。七月、健康を害した父は、死期が迫ったことを知り、子の前途を案じて、渋谷三郎になつ*1と結婚するよう頼んで死んだ。九月、なつは母と妹くにを連れて、債鬼を逃れて虎之助*2のもとに身を寄せるようになった。三郎は、零落した事実を知って、なつとの婚約を一方的に破棄した。 また、ちくま日文学全集 『樋口一葉』 巻末年譜には次の記述がある。 一八九二(明治二十五)年 二十歳 (中略)八月、渋谷三郎が来訪。九月、渋谷三郎を聟に世話しようという話を、母・たき断る。 渋谷三郎のちの阪三郎は、自由党の政治家。大正初期に秋田県知事、山梨県知事をつとめた人物である。 さて、時代はうつって大正11年のこと。山梨県大藤村*3と

    樋口一葉と『文學界』の男たち - 蟹亭奇譚
  • 第5講 夏目漱石『三四郎』(1) - 蟹亭奇譚

    http://homepage2.nifty.com/akoyano/juku/top.html - 文学コース 講義ノート 講義の最中にとったノートをほぼそのまま写したものなので、文責はすべて kanimaster にあります。 漱石はなぜそんなに有名なのか 明治40年頃、自然主義文学の隆盛。 大正5年(1916)年、満49歳で没。 38歳のとき作家活動を開始した。作品数は少ない。 岩波書店は、最初に 『こころ』 を出した。その後、『漱石全集』 を出版。岩波が左翼出版社になったのは戦後。 漱石の小説には 《性》 が出てこない。田山花袋、永井荷風等とは対照的。 中流の一般市民が安心して読める。 毀誉褒貶が激しい。軽文学といわれた。 『道草』 は私小説だが、漱石が私小説を書くわけがないと言われた。 漱石の弟子 長塚節(ながつか たかし)……『土』 森田草平……平塚らいてうと心中未遂事件を起こ

    第5講 夏目漱石『三四郎』(1) - 蟹亭奇譚
  • 第1講 文学とは何か - 蟹亭奇譚

    http://homepage2.nifty.com/akoyano/juku/top.html - 文学コース 講義ノート 講義の最中にとったノートをほぼそのまま写したものなので、文責はすべて kanimaster にあります。 文学とは、明治維新以前の時期は漢文・漢詩を意味するものだった。 詩と小説。詩が一番だった。ex.ホメロスの叙事詩 水滸伝、三国志などは稗史(はいし)小説と呼ばれる。 シェークスピアの戯曲は、詩の形で書かれた。 文学は知識人のためのものであって、民衆には理解できなかった。 ダンテ 『神曲』 も詩で書かれた。 日には和歌があるが、漢詩が多く書かれた。 短歌、俳句、都々逸。「宮さん宮さん」(明治維新の頃の軍歌) 日の詩には「型」がない。 日には英雄叙事詩がない。『古事記』、『平家物語』は詩ではない。 曲亭馬琴は 『南総里見八犬伝』 を七五調で書いた。 俳句は元々

    第1講 文学とは何か - 蟹亭奇譚
  • プライドの高そうな表現 - 蟹亭奇譚

    「すべからく」の用法が正しいか間違っているかに関係なく、文章や発言の中に「すべからく」の言葉を使う人はプライドが高いのではないか? または、自分の教養の高さをひけらかしたいか、語彙の多さを見せつけたいか、見栄を張りたいか、背伸びした表現を使いたいか、のいずれかだろうと思われる。 「すべからく」のこと、その4 - takoponsの意味 僕もプライドが低いわけではないので、見栄を張ったり背伸びをしたりすることが多いのだけれども、こういった決まり文句(というか常套句)は常々気になっている。 彼の行方は杳として知れない。 「はっきりわからない」ではだめなのか。 寡聞にして知らない。 辞書には「見聞の狭いこと。主に謙遜の意で用いる。」とあるが、ちっとも謙遜になっていない例である。 蓋し名言である。 来の語義を失い、もはや「名言」にかかる枕詞と化しているようである。 これらの月並みな表現は須く濫用

    プライドの高そうな表現 - 蟹亭奇譚
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