How to watch NASA's first Boeing Starliner crewed flight launch today (scrubbed)
土曜日はひさしぶりのお稽古。3週間ぶりに身体を動かす。 滝のような汗。 さすがにお盆なので、稽古に来る人は少なく、20人ほど。 いつもの半分である。 日曜日は多田塾甲南合気会の「第0回演武会」。 来年第一回をやる予定なので、予行演習である。 29人が演武する。 私も回らぬ舌で説明演武をする。 身体は動かしていないけれど、このところ『日本辺境論』にずっと武道のことを書いているので、理だけは進んでいる。 その「理」の部分を話す。 理だけ進んで身体がついてこないということはあまり起こらない。 というのは実際に身体能力の発現を阻んでいるのは大半が脳内のファクターだからである。 身体はいろいろなことができる。 意識化して操作する運動と数桁違うくらいの種類の運動をこなすことができる。 それができないのは脳が「人間の身体というのはこういうふうに動くものである」という思いこみによるリミッターをかけているか
副題に「リバタリアニズム入門」とあるが本書「自由はどこまで可能か(森村進)」(参照)は、学術レベルに対する入門という意味合いで、内容はかなり濃く、いわゆる新書にありがちな入門書ではない。 後半になると著者森村氏の見解がやや突出する違和感があるが、総じて現代のリバタリアニズムを俯瞰して理解するには最善の書籍と言える。その分、簡単には読めない。不必要に難解な書き方も悪しき学術的な書き方もされてなく読みやすい文体なのだが、一見簡素な思想に見えるリバタリアニズムが投げかける本質的な課題を考えつつ読むことが難しい。 何度も繰り返し読むに耐える書籍でもある。出版は2001年と古く、やや現代の古典といった風格もあり、この間のリバタリアニズム思想の展開も気になるところだが、とにかく本書を出発点にしないことには話にもならないだろう。 リバタリアンとは何か。本書は、類似または対比される思想的立場との違いを次の
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