2008年3月27日のブックマーク (5件)

  • 場所請負制へ - 我が九条

    エスノサイド(民族抹殺)は何も暴力によってのみ行われるのではない。我々はどうしても暴力による弾圧に目を向けがちである。しかし我々の目に触れる「暴力」は抑圧された側の「暴発」に対する「制圧」という形で現れている。抑圧者側に立つと、暴力の非対称性に目が向けられ、弱者の「抵抗運動」に強者が「武力弾圧」を行なったことが問題になり、抑圧者側に立つと「抵抗運動」ではなく、罪のない人に向けられた過激派の暴力になってしまう。いずれの見方も浅薄きわまりない。エスノサイドは暴力によってのみ行われるのではない。むしろ深刻なのは、暴力によって行われるのではなく、「同化」や「経済進出」の形をとって行われるものである。暴力によるエスノサイドはその突出した一現象に過ぎない。 17世紀のアイヌモシリ(アイヌの大地という意味で今の北海道、南千島列島、サハリン南部)においては和人の進出が相次ぎ、鮭の猟場が荒らされるという問題

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    hgt 2008/03/27
    エスノサイド
  • 日本人は「死刑」をなぜ支持するのか?~『死刑』森達也さん【後編】:日経ビジネスオンライン

    〈……少なくとも死刑を合法の制度として残すこの日に暮らす多くの人は、視界の端にこの死刑を認めながら、(存置か廃止かはともかくとして)目を逸らし続けている。 ならば僕は直視を試みる。できることなら触れてみる。さらに揺り動かす。余計なお世話と思われるかもしれないけれど〉(『死刑』より) 「ゲシュタルト崩壊って、わかりますか?」と森さんは尋ねてきた。漢字をじっと見つめていると、字がゆらゆらと崩壊していく。死刑について考えていると、そんな思いを何度となく繰り返してきたという。 僕はこので、「死刑を凝視せよ」みたいなことを言ってはいるんだけど、いざ凝視していると何がなんだかわからなくなる。やってみて、とてもやっかいなテーマだと思いましたね。 これはオウムの事件以降、ずっと考えていることでもあるんだけど、日人の特殊性って何なんだろうか。世界が死刑廃止の趨勢にあるなかで圧倒的な死刑存置を支持するこ

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    hgt 2008/03/27
  • 「最近のゲームがつまらない」と言ってしまう人問題 - ARTIFACT@はてブロ

    「最近のゲームがつまらない」? 自分にあったゲームを探せていないだけじゃない? - 最終防衛ライン2 昔ならマイナーゲームは雑誌に載らないこともあったが今ならネットで探せないことも無い。体験版も増えたし、今はダウンロードまでできてしまう。そんなすばらしい環境で自分が面白いと思えるゲームを見つけられないのはそりゃ見つけられない君にも問題あるんじゃないかね。 面白いことを探す努力をしたら? - 最終防衛ライン2 まぁ、「○○がつまらない」と言う人は往々にして文句言いたいだけ。また、「最近の・・・」と言う人は大体今の作品をちゃんと体験してないわけですが。共に「現状に文句言うこと」がある種の憤晴らしなので、それが趣味と言えば趣味なんだろうな。 ゲームを遊ぶのも買うのも同じこと - 世界の果ての崖っぷちで 趣味ってのは楽しむためにやってるんだから、最大限楽しむために自分に合ったのを選ぶってのは当然

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    hgt 2008/03/27
    「最近のゲーム」って何なんでしょうね。
  • 「文化的な虐殺」のなかで/あとで - 地を這う難破船

    はてなブックマーク - http://www.asahi.com/national/update/0323/TKY200803230259.html ⇒痛いニュース(ノ∀`) : 「日の先住民族と認めて」 首都圏のアイヌの人々、民族衣装着て署名集め…政府の動き鈍く - ライブドアブログ ⇒はてなブックマーク - 痛いニュース(ノ∀`) : 「日の先住民族と認めて」 首都圏のアイヌの人々、民族衣装着て署名集め…政府の動き鈍く - ライブドアブログ ⇒ニュース速報++ アイヌ「元々関東以北はアイヌの土地だったわけだけど、それはさておき俺達って先住民族だよね?」 「自分は差別していないし差別意識も生まれようがないし現在の日社会にアイヌ差別はありませんが何か」というのは、そもそも彼らの問題提起に対するレスポンスになっていない。 この場合の「民族」って生物学的血統の話ではないですよ。世界史的

    「文化的な虐殺」のなかで/あとで - 地を這う難破船
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    hgt 2008/03/27
  • 排外主義者、あるいは日曜サヨク - モジモジ君の日記。みたいな。

    今ここで手を組めば、この人を助けることができる。そのような決定的な場面においてであるならば、悪魔とだって手を組むかもしれない。ただし、ほとんどの瞬間は、そのようなマンガみたいな決定的瞬間の遥か手前にあって、そのような地味な場面で考えられるべきことは別にある。 倫理が力を持つのが、倫理を語る者が腕力を持っているからであるならば、倫理など不要であり、ただ腕力だけがあればいい。そうではなく、倫理が、倫理であるがゆえの力を持つとすれば、それは何に由来するのか。仮にそんな力があるとすれば、それはそこで語られる倫理の一貫性に由来するはずである。倫理が、その恥じ入らせる力によって力となるためには、一貫性がなければならない。一貫性を欠いた倫理は、既に倫理としての力を欠いており、ただの飾りである。その一貫性を欠いた倫理要求が仮に受け入れられることがあるとしても、それは倫理として受け入れられたのではなく、ただ

    排外主義者、あるいは日曜サヨク - モジモジ君の日記。みたいな。
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    hgt 2008/03/27
    別の問題を語らないことと、別の問題で正反対の主張をすることの違い。