エスノサイド(民族抹殺)は何も暴力によってのみ行われるのではない。我々はどうしても暴力による弾圧に目を向けがちである。しかし我々の目に触れる「暴力」は抑圧された側の「暴発」に対する「制圧」という形で現れている。抑圧者側に立つと、暴力の非対称性に目が向けられ、弱者の「抵抗運動」に強者が「武力弾圧」を行なったことが問題になり、抑圧者側に立つと「抵抗運動」ではなく、罪のない人に向けられた過激派の暴力になってしまう。いずれの見方も浅薄きわまりない。エスノサイドは暴力によってのみ行われるのではない。むしろ深刻なのは、暴力によって行われるのではなく、「同化」や「経済進出」の形をとって行われるものである。暴力によるエスノサイドはその突出した一現象に過ぎない。 17世紀のアイヌモシリ(アイヌの大地という意味で今の北海道、南千島列島、サハリン南部)においては和人の進出が相次ぎ、鮭の猟場が荒らされるという問題