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ブックマーク / sunakago.hateblo.jp (2)

  • 鏡像と自己の奇妙な関係 ――ジャック・ラカンの初期論文集『二人であることの病い』について - 鳥籠ノ砂

    ジャック・ラカン『二人であることの病い』は、三つの症例報告と二つの論考から構成されている。ラカンは「症例エメ」と「パラノイア性犯罪の動機 ――パパン姉妹の犯罪」のなかで他者と自己の奇妙な関係について語り、のちにそれを「鏡像段階論」として整理し主張することになった。 有名な「症例エメ」は次のような内容である。女優のZ夫人を襲撃して逮捕された某女性(=エメ)を分析した結果、彼女が「理想の自己像」を母親・同僚・実姉そして女優のZ夫人に投影していたことが分かる。つまり襲撃事件とは、エメにとっては自身の理想像と刺し違えるため行動に他ならなかったのである。 人は他者に投影した「理想の自己像」という幻想によって、初めて自身の人生を構成することができる。あたかも、美しい鏡に移る自己像を見て初めて自分が確認できるように。だがエメは最初の理想像、すなわち母親に対する同一化(=愛)が完全な失敗に終わっていた。し

    鏡像と自己の奇妙な関係 ――ジャック・ラカンの初期論文集『二人であることの病い』について - 鳥籠ノ砂
    hharunaga
    hharunaga 2014/10/19
    “罰せられるためにこそ悪いことをしようという強迫的な状態、それが「自罰パラノイア」という病に他ならない”
  • 『一般意志2.0』について ――東浩紀と柄谷行人(第三回) - 鳥籠ノ砂

    東浩紀は『一般意志2.0 ルソー、グーグル、フロイト』(二〇一一)を書く前に、似たテーマで「サイバースペースはなぜそう呼ばれるか」と「情報自由論」の二つを書いている。だが、これらは書き手にとって満足のいくものではなかったらしく、単行にはなっていない(のちに『情報環境論集』(二〇〇七)という名でまとめて収録されてはいる)。『一般意志2.0』は、東にとって「三度目の正直」とでも言うべきものだった。それを読む前にまず、私たちはこの二つの論文を読まなければならない。それによって、『存在論的、郵便的』から『一般意志2.0』までの流れを示すことが容易になる。この流れを通して分かることは、『存在論的、郵便的』において示された郵便的、精神分析的脱構築が、具体的な主体のモデル、国家のモデルとして練り直されていることだ。 一九九七年から二〇〇〇年まで連載された「サイバースペースはなぜそう呼ばれるか」は、タイ

    『一般意志2.0』について ――東浩紀と柄谷行人(第三回) - 鳥籠ノ砂
    hharunaga
    hharunaga 2012/05/25
    それにしても、今の日本(人)は、「空気を読むこと」もできなくなったような気がするなあ。
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