『君主論』は十指に余る翻訳、解説書がある。好きな本なので、新しい訳書には目 を通すことにしている。イタリア語については全く無知なので、翻訳の正確性につ いては論評できないが、本書は日本語としておかしい箇所がたくさんあるのが気に なった。例えば、ロレンツォ・デ・メディチに対する献呈の辞に次の文言がある。 「私が長年にわたり、多くの困難と危険に直面しながら見極め理解したすべての 事柄を、ごく短い時間で理解する能力を殿下に授けるこれ以上の贈り物を作るこ とは私にはできないこととお考え下さるだろうと思うからであります。」 くだくだしい悪文の見本である。とくに問題なのが、「理解する能力を殿下に授け る」というくだり。こんな上から目線の言葉は、クビになった元役人が時の権力者 に献呈する著書の献呈の辞にはふさわしくない。講談社学術文庫版をみると「私が 長い間に幾多の苦労と危険の中で認識したすべての事柄を
あくまでこれは2007年以降の新版についての評価です。 倉野憲司氏の校訂本文自体はよいものです。倉野氏は岩波の古典大系や、『古事記全註釈』などで確かな研究成果を残した高名な研究者ですので、本書の校訂本文自体は「定番」といってよい価値を持っています。 ですので、活字時代の旧版岩波文庫『古事記』は確かに良書でした。 が、2007年の改版以降のものはひどい。 文字が大きくなって見やすくなった、という触れ込みでの改版でしたが… 確かに見やすくは成りましたが、あり得ない誤植が多すぎます。おそらくOCRで旧版のものを読み込んで電子化した後、本文にいくらかの修正を加えはしたものの、十分なチェックもしないまま出版したのでしょう。 たとえば19頁の神名のルビ、「うひぢに」「すひぢに」が正しいのに、「うひぢこ」「すひぢこ」になっているのは失笑もの。(読み込み元の活字がかすれてたんでしょうな…) 流石にこれは現
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く