OB訪問として、ライター志望の若者と話をする機会に恵まれています。 マイノリティと表現 これは完全にぼくの持論ですが、表現者として生きるのなら、反社会的な存在であるべきです。その方が、創作物は魅力的になります。 反社会的な存在というのは、何も犯罪者であるべきだ、という話ではありません。ぼくらはみんな、生きているだけで反社会性をもっているものです。たとえば「ひきこもって暮らしたい」「満員電車が嫌い」「上司の説教が意味不明で嫌だ」「仲間となれ合うのがめんどくさい」「全体的にダルい」なんて心境は、まさに「反社会的」なものといえます。ざっくりいえば「マイノリティ」ということです。 社会性が豊かな人は、そうした「反社会的な心」を抑え込むことに成功し、「我慢」せずに、「マジョリティ」として社会生活を歩むことができます。これは平和で、たいへん幸せな生き方です。 しかし、世の中には「我慢しないと社会に適応
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