金子遺跡や二ツ山遺跡、茅沼遺跡をはじめ、先史時代の遺跡が200以上確認されており、古くより人が暮らしていたことが分かっており、その子孫が現在のアイヌ民族と考えられる。 江戸時代には、トウロ(塘路)やニシベツ(虹別)などにアイヌが集落を形成して暮らしていたことが松浦武四郎などの記録に残されている。 1885年に網走刑務所の前身である釧路集治監が開設された。郡役場や戸長役場、日本銀行の出張所も設置され、一時期は釧路に匹敵する規模の町となった。服役する囚人は最盛期で2000人近くに上り、釧路-網走間の道路の建設、釧路鉄道の建設、川湯のアトサヌプリ(硫黄山)での硫黄の採掘などの役にあたった。 1887年には硫黄山の硫黄の輸送のため、標茶-硫黄山間に北海道で二番目の鉄道が建設された。硫黄は標茶で積み替え、釧路までは水運で運ばれたが、乱掘のため資源が枯渇し、採掘は9年足らずで廃止された。 1901年に