宮台真司氏が『バックラッシュ!』(双風社)で語っている、バックラッシュ現象の分析の論理を細かくたどってみたいと思う。宮台氏の論理というのは、その膨大な知識と論理能力の高さから、必ずしも自明に分かるような論理の展開をしてくれていない。現状認識や判断というものが、確かにそのような流れなら納得がいくという風にうまく心に落ちるまでが難しい。 ある種の論理の飛躍に感じるところに、細かい橋を架けて、論理の流れが納得出来るように構築し直してみようと思う。まずは現在のバックラッシュ現象に対する次の判断を考えてみようと思う。 「再帰性という概念を知らない人々が−−とりわけ後述するような不安な層が−−立場を問わず騒いでいるだけの話ですね。」 この現状認識は、何となく同じように感じるところもある。しかし、「感じ」ではなく論理的な帰結としてこのことを納得したいものだと思う。それを考えてみたい。 宮台氏によれば、「
野矢茂樹さんの『『論理哲学論考』を読む』という本の中の「否定詞は名ではない」という言葉が気にかかっている。「名」というのはウィトゲンシュタインの哲学において特別な意味を持っている用語なので、これの意味を正しく理解するのがまた難しいのだが、名詞と同義ではない。 もし「否定詞は名詞ではない」と言うことなら、これはごく当たり前のことを語っているものとして受け取れる。否定詞は名詞と違う機能を受け持つ言葉であり、違う品詞として分類されることに整合性がある。「名」というものは名詞だけを指すのではなく、もっと広い範囲の言葉を指すものだと思われるので、その範疇に否定詞が入っていないと言う判断が気にかかっている。 「名」というものを自分なりに解釈してみると次のようなものだと思われる。ウィトゲンシュタインにとって世界とは事実の総体だった。そして事実とは言語によって表現される事柄だった。これを命題と呼んでもいい
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