ブックマーク / nitar.hatenablog.com (3)

  • 東浩紀「ポストモダンと情報社会」2008年度第9回(12/5) - メタサブカル病

    どうも 授業を始めます 例によってプリントを待っている 今日はちょっとプリントが多く時間がかかるので雑談もしない 当は今ドゥルーズの「管理社会について」の一部を読んでいることになっていた しかし予定を変更して、 ブログとかで問題になっていると風の噂で聞いた歴史修正主義その他に関して話す 例外版 「ポストモダンと情報社会」とは関係ない 基的に僕が展開している主張はきわめてシンプル まず第一に僕の立場を明確にすると、 私的には南京事件はあったと思う 南京事件はこの際例に過ぎない、なんでもいい 数十万ではないだろうけど、数万規模であったと思う 専門家でもないのでこれ以上は言及しない ブログを見てもぐっている人居る? …居ない なら構いません 二番目 公的な信念としては、こう思う 1、 南京虐殺があると断言する人 ないと断言する人 かなりのボリュームでいる まずこれは事実 2、 ポストモダン系

    東浩紀「ポストモダンと情報社会」2008年度第9回(12/5) - メタサブカル病
  • 東浩紀「ポストモダンと情報社会」2008年度第8回(11/28) - メタサブカル病

    どうも遅れてすみません 例によって後でプリントが来るのでそれを待つ--プリントが来ないので授業をする 今回はテキストを読むぞ系でやっていた オタクにとって公共性とは何か 動物化とは何か ハンナ・アーレント、斎藤純一氏の一部のを読んでいた 斎藤純一氏が読むアーレントの公共性の定義 ・現われの空間 表象の空間、固有名として尊重される空間 ・世界への関心 共通世界 この2つが公共性を定義付ける 「現われの空間」は匿名性の空間に近い だったら2chの名無しの空間がもっとも公共的になるのでは 絶対的な真実は無い いつまでも議論が続く だったら南京大虐殺はなかったという話も認めることになる もし斎藤氏の定義に基づくならそうなる 認めないなら別の要素が必要 南京大虐殺については あったという奴、なかったという奴、 それを併せ持つ形で設計されなければならない 僕はあったと思う、と何回も言ってるけどみんな

    東浩紀「ポストモダンと情報社会」2008年度第8回(11/28) - メタサブカル病
  • [lecture]東浩紀「ポストモダンと情報社会」2008年度第7回(11/21) - 2008-11-21 - メタサブカル病

    どうも 遅れてすいません この前の授業でも言ったけど、今度「思想地図」でシンポジウムをやる 「アーキテクチャと思考の場所」1月28日 17:30〜20:30 タイトルが変わった シンポジウムの広告を出さなさなければいけないので、 浅田彰の肩書きをどうするか相談していた 浅田さんにメールを送ったら、「なし、敢えて言うなら批評家」という返事が来た そんな話し合いをしていた - フーコーの話をしていた 田村哲樹『熟議の理由』 僕と似たような年の政治学者 公共性の問題について話をしている 別の角度から議論 補助線を引いてみたい ゼロアカ系現代思想 今度思想地図にも書いてもらう どんなことを言っているか 政治学の世界では ・熟議民主主義 一生懸命話し合おう ・闘技民主主義 民主主義は戦いだ という考え方がある 熟議民主主義の擁護 それが成立する条件について書かれている 北田暁大『責任と正義』への応答

    [lecture]東浩紀「ポストモダンと情報社会」2008年度第7回(11/21) - 2008-11-21 - メタサブカル病
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