株主の“お叱り”に阪神球団社長が謝罪 三回、バットを投げながら三振するメンチ。株主の怒りもごもっとも!?=鳴尾浜 虎のダメ助っ人には、株主様もお怒りじゃ!阪急阪神ホールディングス(HD)の株主総会が17日、大阪市内で開かれ、株主から経営陣への質問で、阪神球団のスカウティングに厳しい“お叱り”の声が上がった。特に自前獲得した外国人野手が不調続きの件について「ハズレばっかり獲っとる」との追及が…。これには同HD取締役の南信男球団社長(54)も反論の余地なく謝罪した。 ◇ ◇ 阪神球団が、このお叱りを避けて、今年の株主総会をシャンシャンで切り抜けるのは当然無理。阪急、阪神の両電鉄関連の質疑が続いた総会だったが、終盤に、やはり飛び出した。 質問に立った年配の株主男性が、現在、球団にとって最も耳の痛い問題点に斬り込んだ。 「タイガースが低迷してますが、去年の外国人はダメ。今年はもっとダメ!慌
彰俊自宅に嫌がらせ…三沢さんも悲しむぞ! 【ノア・三沢光晴さん急死】ノアの仲田龍取締役統括本部長が、愛知県内にある斎藤彰俊の自宅が嫌がらせなどの被害を受けていると明かした。斎藤は13日の広島大会の試合中に三沢さんに岩石落としをかけ、その後に三沢さんが心肺停止となり、搬送先の病院で死亡が確認された。斎藤の家族に迷惑が及んでいることを受け、仲田氏は「誰も斎藤選手が悪いとは思っていない。そういうことは一切やめてほしい。三沢も悲しむことになる」と呼びかけた。同氏は斎藤の心情を思いやり「(三沢さんは)首の調子も良くなかったし、他の選手がそういう立場になっていたかもしれない。ご遺族も十分理解されている」と説明した。
三沢さんの悲劇繰り返すな…自民党が動いた 13日のノア広島大会の試合中に起きた事故でプロレスラー三沢光晴さん(享年46)が亡くなったことを受け、自民党が動いた。同党の文部科学部会と文教制度調査会が18日、合同会議を開き、プロレス3大メジャー団体のノア、新日本、全日本の幹部を呼んで事情聴取を行うことになった。会議では事故の再発防止策やコミッションの統一などを話し合うという。三沢さんの事故死が大きな波紋を広げている。 【三沢光晴さん追悼特集】 日本全国が悲しみに暮れた三沢さんの死が政治の場でも議論されることになった。三沢さんの誕生日だった18日、自民党は渡海紀三朗文教制度調査会会長、元プロレスラーの馳浩文部科学部会部会長が発起人となり、文部科学部会・文教制度調査会合同会議を開催。プロレスラーの事故死について話し合うことになった。会議にはノアの仲田龍取締役統括部長、新日本の菅林直樹社長、三
三沢光晴さん(享年46)のお別れ会が、7月4日に東京・ディファ有明で行われることが有力となった。16日、熊本興南会館で行われたノア熊本大会で、百田光雄副社長(60)が「決定ではない」と前置きしたうえで「シリーズ後に選手と相談したうえで急に決まった場合、会場がないと困るので、7月4日にディファ有明を仮押さえした」と明かした。 同会場は1500人収容だが、50台駐車可能な駐車場があり、大勢のファンが訪れても対応できる。また、ノア旗揚げ時の会場でもあり、三沢さんをしのぶには縁の深い場所だ。お別れ会について百田副社長は「やるなら献花式のような形になるでしょう」と話した。 この日も、会場には献花台が設けられた。生花、お酒、写真、手紙などがテーブル6脚分を埋めた。ノア側はシリーズ通して届けられたファンからの供え物をトラックで事務所に運び、お別れ会会場の献花台に供える予定。ノア関係者は「鹿児島大会の後も
三沢光晴さん(享年46)のテーマ曲「スパルタンX」(2009Version)が収録されたノアのCD「FIGHT for FREEDOM」が、わずか2日間で売り上げが倍増したことが分かった。発売元のレコード会社バップによると、16日現在、5月8日の発売時に出荷した約1000枚と同数の注文が15日からの2日間で殺到。さらに1000枚を追加生産中だ。三沢さんは3月1日から新バージョンで入場していた。沢藤プロデューサーは「(三沢さんは)『これを聴いてみんな元気になってくれればいいなあ』というのがあったみたい。よりインパクトある新バージョンを準備していましたが、幻の音源になってしまいましたね…」と悲しげに話した。
突然の死から3日。プロレス界の枠を超えて、日本全国でノアの三沢光晴さん(享年46)を追悼する動きが出始めた。00年8月に旗揚げしたノアの全国進出の出発点となった秋田県湯沢市(旧皆瀬村)に16日、石碑の建立案が浮上。興行の実行委員長の高橋司さん(40=公務員)が「石碑を建てて追悼したい」と私案を明かした。三沢さんがボランティアで活動に尽力していた日本移植支援協会は特別表彰する方針を固めた。 「プロレスで村おこしを」。その三沢さんの熱意は、地方の人々の心にしっかりと刻み込まれていた。秋田県南東部の旧皆瀬村で興行を主催してきた高橋さんは「三沢さんは地域活性に貢献してくれました。その功績をたたえて『三沢光晴さんとの思い出の地』と書かれた石碑を建てたい気持ちはある」と話した。 05年3月に湯沢市に吸収合併された皆瀬村は、00年8月にノアが初めて行った地方大会の開催地だった。当時の村の人口は約3000
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