「……非学問的な所説が必ずしも無力なイデオロギーであるとは限らない。むしろ、非合理的な議論がかえってその非合理性のために論理ではなく心情に訴え、感覚を把えて人を熱狂的に行動に駆り立てようとする。いわば、科学の喪失と神話の再生という文脈の中では、学問的には嘲笑の種でしかない理屈も十分にその存在理由を見出すのである。」(斉藤孝)(1) 明治以降の近代日本では、様々な形で奇怪な「歴史」が創作されてきた。 例を挙げるとすれば、以下のようなものである。──日本人の先祖は白人である。源義経とジンギスカンは同一人物である。世界の歴史はユダヤ人やフリーメースンの陰謀によって動かされている。神武天皇の即位以前にも天皇が存在した。日本はかつて全世界をその版図に収めていた。等々。 これら、虚構の「歴史」──「偽史」は、ほとんどの場合において、学問的な歴史学の成果と相容れないのみならず、正当かつ十分な学問的検証を
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