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  • 「てふ」と書いてなぜ「ちょう」と読むのか知りたい。 | レファレンス協同データベース

    調査した結果、もともと「てふ」は「ちょう」とは読まなかったことが判明した。 調査した資料に書かれていたことをまとめると次の通り。 ・昆虫の蝶は、昔は和語の「カハヒラコ」と呼称されていたが、平安時代、外来語の呼称「tiep」に取って代わられた。 この発音「tiep」をそのまま文字に書き写したものが「てふ」だった。 ・この発音「tiep」は、時代を下るにつれて変化していく。 具体的には、平安中期以降から鎌倉時代にかけて「てう」に変化し、 江戸時代までには「ちょお」と発音するようになった。 ・ところが「てふ」という表記だけは変わらずに「てふ」のまま残り続けた。 このずれのために、「てふ」と書いて「ちょう」と読むようになった。 〇調査した資料 ・『国語科図説:図説全集』(石井 庄司/編著 岩崎書店 1960) p.238-239「歴史的かなづかいは、われわれ現代人の発音を写し書くには、まことに不便

    「てふ」と書いてなぜ「ちょう」と読むのか知りたい。 | レファレンス協同データベース
    hietaro
    hietaro 2020/09/18
    へええ。てことは結局、漢字への当て字とおんなじじゃん
  • レファレンス協同データベース「この道をいけばどうなるものか」から始まる言葉の全文が知りたい。良寛の言葉らしい。 - レファレンス共同データベース

    清沢哲夫(のちの暁烏哲夫)氏の詩「道」が該当の詩です。 この詩は、初出「同帰」第335号(昭和26年10月1日発行)。 『無常断章』1966.5 法蔵館に所収されています。 なお、『猪木寛至自伝』には、一休宗純の言葉として以下の詩が掲載されています。 「この道を行けばどうなるものか 危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし 踏み出せばその一足が道となり その一足が道となる 迷わず行けよ 行けばわかるさ」 これにより、アントニオ猪木氏がこの言葉を一休宗純の言葉として認識しているということはわかりました。 またインターネットサイトでも、一休宗純の言葉として扱っているページが複数存在することもわかります。 しかしながら、一休宗純の言葉であることを示す根拠となる資料は、発見できませんでした。 したがって、アントニオ猪木氏の座右の銘は、一休宗純よりも 清沢哲夫氏の詩の改変である可能性が高いと考えます。 インタ

    レファレンス協同データベース「この道をいけばどうなるものか」から始まる言葉の全文が知りたい。良寛の言葉らしい。 - レファレンス共同データベース
    hietaro
    hietaro 2013/10/22
    なるほど。猪木の「この道を…」は一休宗純の作である根拠はなく、清沢哲夫『無常断章』収録の「道」の改作と見るのが妥当か。このサイト勉強になるなあ。
  • 電話にて、① 「やすけずし」、② 「すけろくずし」の意味・由来を知りたい。 | レファレンス協同データベース

    ①「やすけずし」⇒『弥助鮨』  弥助鮨とは、釣瓶鮨(つるべずし)の異称。吉野鮨。弥助寿司。 【弥助鮨の語源・由来】 弥助鮨の名は、竹田出雲の歌舞伎狂言『義経千桜』に由来する。 平維盛が吉野のすし屋「弥助」で雇人となるが、弥助は維盛の父重盛の世話になった人物でもあったため、敵を欺くために「弥助」の名を維盛に譲り、自身は「弥左衛門」と称した。 このすし屋ガ釣瓶鮨を作っていたことから、「釣瓶鮨」は「弥助鮨」と呼ばれるようになった。 花柳界などで「すし」を「弥助」と呼ぶのも、このすし屋の名からである。 現在の奈良県下市町にある鮎鮨の老舗「つるべすし 弥助」は、『義経千桜』の舞台となった店として知られる。 ②「すけろくずし」⇒『助六寿司』 助六寿司とは、稲荷寿司と巻き寿司を詰め合わせたもの。 【助六寿司の語源・由来】 助六寿司の「助六」は、歌舞伎十八番のひとつ。「助六所縁江戸桜(すけろくゆかり

    電話にて、① 「やすけずし」、② 「すけろくずし」の意味・由来を知りたい。 | レファレンス協同データベース
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