【土管からマリオが!】チリ落盤事故 2人目の救助者が陽気すぎワロタ。地底から持参したお土産を配る、口笛を口ずさむなど。
【土管からマリオが!】チリ落盤事故 2人目の救助者が陽気すぎワロタ。地底から持参したお土産を配る、口笛を口ずさむなど。
最初に・・・「義務教育とかは中学位まででいいのかな?」のタイトルでTBを送ってしまいました。 ”義務教育”→”取り合えず”です 間違いです申し訳ありません。失礼いたしました。 独学に勝る勉強はない(2) 今だから自分は思うけど小学校、中学校で習った事は大切だと思う。 体育とかチームプレイを学んだり、体を作るのに必要だと思うし、道徳なんかの授業はもっと時間を懸けてもいいと思う。*1 音楽は人生を豊かにするし、国語力がこんなに必要になるとは思わなかった。 科目以外でも学ぶ事は沢山あるよ。整理整頓なんてプロジェクトを仕切る上で基本のスキルだ。 まぁ↑の事は自分自身が全く適当にしてたから、今は大切さが判るんだろねorz 日本の教育が義務として最低限の力をつけせさようとしてるのは理解できます。 しかし高等学校っと言われる所はどうなんでしょう? 自分は高校時代に勉強なんて殆どしませんでした。 なぜなら
2007年11月29日20:00 カテゴリMedicineArt 優秀なナースなら当然看護記録は付けてるよね? これを読んで、s/ナース/現場/g;s/病院/システム/gとして一般論化した場合は非常に納得した(というのかs/ナース/自分/gで思い当たるフシがありすぎてorz)のだけど、そのまま読むとずいぶんと違和感があるのは海堂尊作品の読み過ぎだろうか? Life is beautiful: 優秀なナースがいるとシステムがなかなか改善されないという話 Why hospitals don't learn from failures(なぜ病院は失敗から学ばないのか)」という論文を読んでなるほどと思う部分があったので、ここにメモ代わりに書いておく。 ちなみにこの原文は、 Division of Research Working Paper Abstract でPDFとして入手できる。ぐぐったら一
東大文学部のサイトに「私の選択」という、先生方がなぜその専攻を選んで研究者となったのか、というのを回顧するエッセイコーナーがあります。僕も良く学生から「先生はなぜ宗教学(宗教研究)」をやることになったんですか?」という質問を受けることが多いので、ちょっとそのエッセイコーナーを真似して自分の来歴を振り返ることにしました。あと、こっちのブログはほとんど休眠状態なので、たまには記事を書いてみようかな、と思って書いてみました。ご笑覧ください。 -------------------------------- なぜ「宗教学」という学問に惹かれ、宗教学科(正確には宗教学宗教史学専修課程)を進学先に選んだのか。この問いに対しては、複数の回答を既に用意している。だが、こういう理由は要するに後知恵で、本当は何となく進学して、そのまま居座ったというのが真実に近い。だが、取り敢えず自分なりに過去を振り返ってみよ
年度末になってきたので、学術書をいつものようにまとめ買い。半分ほどは学科図書室に入れる予定です。 植民地「公娼制」に帝国の性政治をみる: 釜山から上海まで 作者:宋 連玉 有志舎 Amazon 植民地朝鮮の愛国婦人会: 在朝日本人女性と植民地支配 作者:広瀬 玲子 有志舎 Amazon 有志舎からでた、植民地朝鮮の「女性史」の成果。 「戦争ごっこ」の近現代史: 児童文化と軍事思想 作者:サビーネ・フリューシュトゥック 人文書院 Amazon 外国の日本研究者のものも。こういう視点はこれまで殆どなかったのではないか? 戦時下日本の娯楽政策: 文化・芸術の動員を問う 作者:戸ノ下 達也 青弓社 Amazon 日本の吹奏楽史: 1869‐2000 作者:戸ノ下 達也 青弓社 Amazon 戸ノ下達也さんの本も。結構戦時期の娯楽史や、音楽史に手を出すゼミ生もいたので。 女子鉄道員と日本近代 作者:
今日は学部の会議日。会議そのものはそれほど長引かずに終わったのだが、今日は二つの委員を仰せつかる羽目になってしまった。僕もそういう年になったというか、「まあ、あいつで良かろう」という集合意思が何故か僕に向かっているというか。まあ、僕と同様のことを思っている同僚(例えばA木先生)もいらっしゃると思うが。「何故、俺なんだ」と。 さて、今日は会議中に久々に発言してしまった。これは学部の会議の議題ではないのだが、来年のシラバスに関することである。文部科学省のアホな通達(はっきり言う)によって、シラバスの記載が妙に細かく規定されつつある。例えば半期なら14回(もしくは15回)どんな授業をするかを一つずつ書かねばならぬとか。そのせいで、冊子形式のシラバスが分厚くならざるを得ず、少なからぬ大学でシラバスは既にCD-Rで配布されていると聞くが、その波が僕の大学にもやってきそうなのだ。僕は、断固反対。CD-
「Why hospitals don't learn from failures(なぜ病院は失敗から学ばないのか)」という論文を読んでなるほどと思う部分があったので、ここにメモ代わりに書いておく。 この論文の筆者(TuckerとEdmondson)は、医療ミスがなかなか減らない原因を探るために、全米の10の病院を長期間に渡って調査・研究したのだが、その結果判明したのは、「システムの改善」という観点からは、ナースの優秀さと勤勉さが逆効果になっているという皮肉な話。 「優秀なナース」の定義はどこでも同じで、「目の前の患者が必要としているものを、あらゆる障害を乗り越えていち早く提供する」こと。取り替えるべきシーツが不足していれば別の階に走って行って調達してくるし、新米のナースのミスにはいちいち噛み付くこともなくそのミスを取り繕う。そんなナースたちにとっては、その手の「不具合」や「障害」は避けられ
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/post_b18b.html 「サルまん」のたけくま氏による「学校の勉強は必要ない」という主張ですが、たけくま氏のことは尊敬しているので、この考えにははっきり反対意見を書いておこうと思います。 「学校の勉強は必要ないのではないか」というときに、「社会に出てから学校の勉強が役に立つか」という疑問から考えようとするのは、そもそも間違っているのです。そういう疑問が出るということは、学校の勉強によって自分を変えることができなかったということであって、それは学ぶ側の問題です。学校の勉強自体が必要ない、という結論にはならないと思います。 たとえば「水泳教室に通ったが泳げるようにならなかった。しかし、その後の人生で水泳が役に立ったことはない」というのはおかしいでしょう。泳げるようにならなかったのだから、泳ぎが役
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