言語表現の現実味 (『群像』1990年夏?) 山形浩生 要約: 語尾の「さ」「よくってよ」といった不自然な、通常は絶対に口にされない表現が大手を振ってまかり通っているのはなぜなのか。多くの物書きが現実の観察を怠っているから、そういう現実にない表現も平気で使えてしまうのだ。 特に名文家でもないし、海外の出版状況に詳しいわけでもないし、ぼくが翻訳者としていささかでもセールスポイントがあるとすれば、機械的な訳の処理と、科学技術に対する常識(この世には、電球の仕組みすら知らないとおぼしき物書きがゴマンといる)と、そして人の会話の現実味だろうと自分では思っている。翻訳を何か文学的な営みだと思っている(思いたい)人間にとっては、機械的な訳の正しさというのはわかるまいが、これについてはまた別の機会に触れよう。ここでは人の会話の現実味について書く。 トマス・ピンチョンも「スロー・ラーナー」(この邦題は何と