エロゲーを海外では「デート・シム」ということがあるそうで、それを聞いたときには自分がパソコンでデートの練習をしているかのようなまとめ方に反感を覚えたものである。エロゲーが物語を失ったとき、残ったのはヒロインの出現先や趣味を追いかける作業という「ストーカー要素」と、ほとんどの行為が消費行動に帰結してしまう世界で従順な消費者として振舞うための効率的な指針としての「商品カタログ」だった。ヒロインとの距離を縮めるための胸躍る物語や深刻な問題が都合よく起こってくれるわけではない。「可愛いなあ」と思ったたらひたすらヒロインの出現先に足を運び、服を買ったりスイーツを食べたりファッション誌を買ったり行楽地に出かけたりといったバカらしい消費行動で自分を成長させ、何かの偶然が起きてヒロインと仲良くなり、頃合を見計らって「好きです」「私もです」「今日[告白したその日]、泊まりに行ってもいい?」というそれなりにあ