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ブックマーク / dain.cocolog-nifty.com (11)

  • 「できない」を証明する知的興奮『不可能、不確定、不完全』

    「できない」を納得してもらうのは難しい。 なぜなら、あらゆる解決策を吟味して潰していかねばならないから。いっぽう「できる」ことを証明するのは簡単だ、解法を一つだけ示せばいいのだから。 たとえば、上司に「できません」と伝えると「できない理由を言え(俺が論破してやる)」と返される。無茶でも「できます」と言うほうが楽である(ただし、納期・コスト・品質そして健康が犠牲になる)。最近では小ずるく言い方を変え、「現実的ではありません」と理由を説明するようになった(これで説明責任が相手に移動する)。ビジネス上のたいていの問題は、カネか時間かで解決するが、常識的な時間内に解決するのは難しい。 ところが、世の中に、いくらカネと時間を注ぎ込んでも解決できない問題がある。荒唐無稽なファンタジーという意味で「できない」というのではなく、数学的な帰結として「できなさ」が証明されている問題である。『不可能、不確定、不

    「できない」を証明する知的興奮『不可能、不確定、不完全』
  • 『レトリック感覚』と『レトリック認識』はスゴ本

    使い慣れた道具の構造が分かり、より効果的に扱えるようになる。これまでヒューリスティックに馴れていた手段が、一つ一つ狙い撃ちできるようになる。こいつ片手に、そこらのラノベを魔改造したり、漱石や維新を読み直したら、さぞかし楽しかろう。 レトリックというと、言葉をねじる修飾法とか、議論に勝つ説得術といった印象がある。もちろんその通り。アリストテレスによって弁論術・詩学として集大成され、ヨーロッパで精錬された修辞学は、言語に説得効果と美的効果を与える技術体系だ。 だが、「技巧や形式に走る」といって、棄ててしまったのが現代なのだと弾劾する。ものには名があるから、妙に飾らないで、名で呼ぶのがいい……そんな俗物的な言語写実主義の教訓が、私たちの楽天的すぎた科学主義=合理主義=実用主義と混ぜこぜになって、言語感覚を狂わせたのだという。 できあいの言語をじゅうぶん便利なコミュニケーションの道具と信じ、形

    『レトリック感覚』と『レトリック認識』はスゴ本
  • キスの科学「なぜ人はキスをするのか?」

    キスをする究極の理由から、科学的に正しいキスの仕方まで。 特に、効果的なファーストキスのアドバイスは、シングル(の男性)に朗報かと。ただし、「ファーストキス」の意味合いが違う。一般に「ファーストキス」とは、その人にとって生まれて初めてのキスのこと。だが書では、その相手とする最初のキスのことを、ファーストキスと呼ぶ。初物と初キスの違いやね。 見返しを眺めると、ずばり美人。こんなサイエンスライターが「キス」についてあれこれ調べて・自らも被験者となったレポートだなんて、ドキドキながら読むのだが……中身は至極まっとう。たがいのくちびるをかさねる、その行為を、以下の2つのアプローチから分析する。 1. 生物学的、遺伝学的な要因 2. 文化的、社会環境的な要因 ボノボの例を用い、「キス」は人の専売特許ではないことを説明する。仲間をなめたり、鼻をこすりつけたりする行為は、人のキスに匹敵する。では、なぜ

    キスの科学「なぜ人はキスをするのか?」
    highcampus
    highcampus 2011/06/20
    "次のキスが楽しみになる一冊"(白目)
  • 3週間でやりなおす「高校数学の教科書」

    習うより慣れろ、学ぶより真似ろ。 やりなおし数学シリーズ。いつもと違うアタマの部分をカッカさせながら、3週間で一気通貫したぞ。もとは小飼弾さんへの質問「数学をやりなおす最適のテキストは?」から始まる。打てば響くように、吉田武「オイラーの贈物」が返ってくる……が、これには幾度も挫折しているので、「も少し入りやすいものを」リクエストしたら、これになった。 書の特徴は、「つながり」。アラカルト方式を改め、高校数学の体系を一化しているという。なるほど、上巻の「数と式」の和と差の積の形に半ば強引に持ち込むテクは、下巻の積分の展開でガンガン使うし、図形と関数はベクトルと行列の基礎訓練だったことに気づかされる。ベクトルが行列に、行列が確率行列に、さらに行列がθの回転運動や相似変換に「つながっている」ことが「分かった」とき、目の前がばばばーーーっと広がり、強制覚醒させられる。 上巻 1章 数と式 2章

    3週間でやりなおす「高校数学の教科書」
    highcampus
    highcampus 2011/06/17
    "概念やテクニックの集大成として微積分に収斂されていく全体像が見えてくる(確率・統計という例外もあるけど)。"
  • 祖国とは国語である「完本・文語文」

    国語としての日語を考えるなら、夏彦翁に訊け。 山夏彦にいわせると、明治の日人は文語を捨てたんだそうな。平安時代から千年かけて洗練された日語を手放し、西洋語の翻訳を「日語」としてあらたに発明したのが、いまの国語となっている。 文明開化は東洋を捨てて西洋を学ぼうとして、皮相だけを学んで根に及ばなかったから私たちはその両方を失ったのである。 そして、文語を捨てたことにより、詩は朗誦にたえなくなり、読者を失ったという。じっさいの終焉は御維新ではなく、新聞の社説が文語から口語に変わった大正十年まで続いたんだと(詩が全部口語自由詩になったのもこのころ)。 わたしの場合、さいしょから無い世界で呼吸してきたからピンとこない。だが、少し引いてみるならば、千年の言語を捨ててから百年経ったのが、いま、なんだろうね。生きてきた数十年だけで日語が終わったとか語るのは、わたしにとって、百年早いのかも。

    祖国とは国語である「完本・文語文」
    highcampus
    highcampus 2011/05/04
    山本夏彦/"夏彦翁は「終わった」などと言わない。「捨てた」んだと。変わってしまった日本語を、いつくしむように語る"
  • 「ヴァギナ」はスゴ本 【全年齢推奨】

    知ってるつもりのヴァギナが、まるで違ったものに見えてくる。 のっけからのけぞる。モザイクかかっているものの、ヴァギナそのものが誇らしげに表紙に掲げている(遠目だとちゃんと認識できる)。表紙だけでなく、子を産むヴァギナや、常態のヴァギナなど、普通では見られない写真や図版も豊富にある。写真だけでなく、科学や宗教、歴史、神話と伝承に、文学と言語、人類学、芸術の幅広い資料から徹底的に調べ上げている。 そして、偏見と妄想をとっぱらったヴァギナを多角的・広角的に紹介する。同時に、ヴァギナに対する文化的・科学的バイアスを指し示すことで、どれだけ歪んだヴァギナ・イメージに染まっているかをあぶりだす仕掛けになっている。これを読むことで、男女問わずヴァギナ観がガラリと変わることを請合う。 まず、神話や伝承、民俗学では、恐れ敬われ、魔よけともなる力強い姿が紹介される。さまざまな神話や伝承が示す、着衣をまくりあげ

    「ヴァギナ」はスゴ本 【全年齢推奨】
  • この世でいちばん面白い小説

    筒井康隆が「ひとつだけ選ぶならコレ」とベタ誉めしてたので手を出す。ジュヴナイル向け「巌窟王」で読んだつもりになっていたが、今回、岩波赤版「モンテ・クリスト伯」でブッ飛んだ。 ストーリーを一言であらわすなら、究極のメロドラマ。展開のうねりがスゴい、物語の解像度がスゴい、古典はまわりくどいという方はいらっしゃるかもしれないが、伏線の張りがスゴい。てかどれもこれも強烈な前フリだ。伏線の濃淡で物語の転び方がミエミエになるかもしれないが、凡百のミステリを蹴散らすぐらいの効きに唸れ。読み手のハートはがっちりつかまれて振り回されることを請合う。 みなさん、スジはご存知だろうから省く。が、痛快な展開に喝采を送っているうちに、復讐の絶頂をまたぎ越えてしまったことに気づく。その向こう側に横たわる絶望の深淵を、主人公、モンテ・クリスト伯と一緒になって覗き込むの。そして、「生きるほうが辛い」というのは、どういう感

    この世でいちばん面白い小説
    highcampus
    highcampus 2009/03/30
    巌窟王、モンテ・クリスト伯
  • わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: 学力低下の本当の原因

    教育の荒廃が叫ばれている。 学校、保護者、子ども自身、そしてそれらを取り巻く環境――官僚、政治家、教育委員会、地域社会が制度疲労に陥っている。教育亡国論が喧しくとも思考停止と非難合戦、手をこまねいているばかり。教育現場は完全に活力を失っており、責任転嫁の応酬に明け暮れている。 ■ 教育改革の担当者は誰か? 象徴的な例を、いくつか挙げよう。ひとつめは、NHK世論調査(※1)だ。「教育改革の担当者は誰か?」という問いかけに対し、こんな結果が得られた。 注目すべきは、教育のまさに現場にいるはずの「教師」と答えたのが、たった8%ということ。あまつさえ、「父母」と答えたのがわずか2%は情けない。いわゆる「お上」任せである。「教育」は政争の具に貶められ、人質化している。そして、いまどきの教師、両親は、当事者意識を完全に欠如しており、犠牲になるのは子どもたちだ。 ■ 4脚のニワトリ、絵の具でできる「き

    わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: 学力低下の本当の原因
  • わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: 読書は人間がベッドの上でおこなう二つの快楽のうちの一つ

    タイトルは丸谷才一「思考のレッスン」より。読書について、書くことについて、沢山のヒントをもらった。「読書のコツ」、今風に言うなら「読書Hack」。ただし、効率ばかりの安手なものと違って、ひとつひとつ自分で読みといてはヤクロウに入れる手間はある。 ■の読み方の最大のコツ 最も激しくうなづいたのは、の読み方の最大のコツ→「そのを面白がって読め」。そのを面白がって、その快楽をエネルギーにして進め、という。言い換えると、「面白くないは読むな」となる。面白く思えないをガマンして読んで分からないなんて、つまらない。その時間、別のを面白がって読んで得られる効用の方が大なり。 読書は快楽なんだ、ベッドの上でする二つの快楽のうちの一つなんだ。もう一つの快楽が何かは言うまでもないけれど、それぐらい愉しいことなんだ。もちろん、もう一つは睡眠だね。読んで寝て暮らす、これぞ究極の快楽。 ■を選ぶポイ

    わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: 読書は人間がベッドの上でおこなう二つの快楽のうちの一つ
  • わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: 本を探すのではなく、人を探す

    長くなりすぎたこのエントリのレジュメ:選の肝はではなく、人を探すこと。わたしが知らないスゴは、それこそ百万冊ある。そのそのものを探すのはとても難しい。しかし、百万冊のスゴは間違いなく誰かに読まれている(それは"あなた"かもしれない)。だから、スゴを読んでいる"あなた"を探す。このblogの究極目的も、そう。 メールやコメントでいただいた、以下の質問に答えてみる。誰かの参考になれば。 【質問】 Q1 たくさんを読んでるようですが、速読をやっていますか? Q2 あるいは読書術のようなものはありますか? Q3 読むはどうやって探していますか? 【回答】 A1 速読を練習したことありますが、実践してません A2 「目的を持って読む」に尽きます A3 ではなく、人を探します は目的を持って読む あたりまえだとツッコミがくるだろうが、わたしはできていない。漫然と読んでるとあっという

    わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: 本を探すのではなく、人を探す
  • わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: 本ばかり読んでるとバカになる

    の探し方についてのエントリ「を探すのではなく、人を探す」において、「目的を持って読む」と書いたが、具体的に何をどうすりゃいいのか、書いてない。を選ぶまでが前回のエントリなら、ここでは、選んだをどうやって読んでいるかについて、書く。 最初に やはり長くなりすぎたこのエントリのまとめ↓ 読書は他人にものを考えてもらった結果をなぞるだけだから、自分のアタマでものを考えなくなる。そうした受動的な読書を打ち破るために、オキテを作って実践している。 オキテ1:読むだけの読書にしない、オキテ2:読んだら表現する、オキテ3:読んだらフィードバックする、の3つ。その結果、読書の対象に広がりと奥行きと深みが増した。特にオキテ2を強力にオススメする。 まとめ終わり。文どぞ。 ばかり読んでるとバカになる ショウペンハウエルが「読書について」でいいこと言っている。読書は他人にものを考えてもらうこと。だか

    わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: 本ばかり読んでるとバカになる
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