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ブックマーク / nasutoko.blog83.fc2.com (9)

  • CUFFS『Garden』 雑感 【 なすところをしらざればなり 】

    なすところをしらざればなりFOR I KNOW NOT WHAT I DO 久々に、何も書けないようなゲームに出くわしてしまった。書けない、というか、書きたくない? このゲームは”あれ”を想起させるのだけど、それがあからさますぎてワナにしか思えないのだけど、それをワナと思わせる表記がどこにもなく――瑠璃シナリオを作ってしまうことによって当に失くなり――じゃあやっぱりそれは、”挑発”なんじゃないだろうか。 ■ たとえば平行世界・平行宇宙があるとして、それが何処にあるのか――「宇宙」なんてサイズのものは、当然ながらボクらが今生きている宇宙には収まらなくて、じゃあ未だ見ぬ謎の空間とか別の次元上の何かとか概念上の何処かとか形而上の観念とかにあるのかというとそんなことはなくて、ホログラフィー理論によれば、ほんの1cm四方の空間に、この宇宙すべての情報が収まるそうです。つまり宇宙のすべては、この手の

  • 「飽きた。つまんねえ」(Fate/hollow ataraxia)について 【 なすところをしらざればなり 】

    なすところをしらざればなりFOR I KNOW NOT WHAT I DO このお話はこれ以上ないほどに一つ素晴らしい。正しく述べるならば「大好きです」と言うべきでしょうか。ええ、正直大好きです。 この夜戦う(つどう)ものの全ては。 自ら望んだ未来の為に、この幻想を打ち棄てて――― (「ブロード・ブリッジ」) 一言で述べることが乱暴であることを承知で申し上げれば。これは。「続かせる」為のお話。「続かせる」ために「終わらせる」というお話。アンリの言葉で云うならば。 「終わる事と続かない事は違う」(「スパイラル・ラダー」) 。鍵となるのは「背負うもの」。 ■はじめに――「悪とは全て拒否された善である」 「あらゆる悪は拒否された善である」。たしかジョン・デューイさんのお言葉。悪とは全て受け入れられなかった善である。 善とか悪とか、よくいいますが、そこの基準に/分別に真なるものはない。それは皆様よ

  • 月は東に日は西に――カラの玉座に王は立つ(その1) 【 なすところをしらざればなり 】

    なすところをしらざればなりFOR I KNOW NOT WHAT I DO 『月は東に日は西に』、ちょっと前にクリアー。オーガストのゲームをやるのは初めてだったんですが、たしかにこれは人気が出るのも頷ける良さでした。 「月は東に日は西に」というのは、字面どおりに読めば「夕暮れ」ですね。その「夕暮れ」に対し、直截的に言及している数少ない(唯一かも)編でのセリフ。美琴 「わたしがいた世界では、夕暮れは怖いものだったの」 直樹 「怖い?」 美琴 「次々と人が死んでいくのを、毎日見ていると……」 美琴 「わたしは、また明日太陽が見られるのかなって不安になってたっけ」 美琴 「……これが、太陽も見納めなんじゃないかって」暗いことや悲しいこと、不安なことも、「Operation Sanctuary」――それぞれの聖域を見つけていくことで、変わっていく。そんな感じで非常に良く出来ていましたね。どのお話

    highcampus
    highcampus 2011/02/26
    "エロゲにおける「日常」というのは、それこそ「To Heart=四コママンガ」よろしくに、ある意味日常系四コママンガにおける「日常」と相同的で[…]『はにはに』の共通パートはこの流れが上手く踏まえられてる"
  • さよならキミの声 【 なすところをしらざればなり 】

    なすところをしらざればなりFOR I KNOW NOT WHAT I DO ※リトルバスターズ&リトルバスターズEXのネタバレ もともと『リトルバスターズ』というゲームの結末は、理樹と鈴を残して他のみんなは死ぬというものだったらしい。(元ソースを確認してないのにこんなこと書くのもアレですが(どこかの雑誌のインタビューに載っていたのでは)) 事故に遭い瀕死の淵に立たされた恭介・ならびにリトルバスターズのみんなが、同じく事故に遭ったが恐らく生還できる理樹・鈴を、「自分たちがいなくなっても立派に生きていけるように育てよう」としてひとつの<世界>を作り、そして、それが果たされたから、<世界>は終わり、彼らはお別れをする……はずだった。そこまでが最初の結末。それが変更されてどうなったかというと、作中の通り、恭介達も助けられて、結局お別れをすることは無くなった、ということになります。ただ一人を除いて。

    highcampus
    highcampus 2010/09/01
    リトルバスターズ!/"むしろさよならされるのは、『リトルバスターズ』の最後が示唆するように、そのネットワーク外のプレイヤーであるのだ"
  • 「真剣で私に恋しなさい!」レビュー : 「自己のありかた」を巡るお話 【 なすところをしらざればなり 】

    なすところをしらざればなりFOR I KNOW NOT WHAT I DO

    highcampus
    highcampus 2010/06/05
    まじこい
  • トラウマをエロゲ的に扱わないということ : 君が主で執事が俺で 【 なすところをしらざればなり 】

    なすところをしらざればなりFOR I KNOW NOT WHAT I DO 『真剣で私に恋しなさい!』から、遡るようにプレイ。 『まじこい』とも共通していたのですが、ヒロインの問題という問題意識に対する観点がある種特徴的で面白かったですね。一言でいえば、ヒロインに「エロゲ的」トラウマがない――というか、トラウマを「エロゲ的に扱わない」という点。ここでいう「エロゲ的なトラウマ(トラウマのエロゲ的な扱い)」というのは、それこそ『Kanon』あたりから代表されるであろう、物語においてヒロインの問題として存在して、主人公によって・彼の行動によって・彼の存在によって・彼と過ごす日々という物語によって、癒されたり解消されたり向き合ったりする対象としてのトラウマです。『Kanon』っていうか、『リトバス』の個別ルートなんかまさにというか典型的なくらいにそうでしょう。そういった対象として在るトラウマ。それ

  • エロゲの選択肢――決定の不可能性について 【 なすところをしらざればなり 】

    なすところをしらざればなりFOR I KNOW NOT WHAT I DO むかし別のところに書いた文章なんだけど、自己参照したいのでこっちにも移植。見たことあるぜ~という方がいらっしゃったらどうもその節はお世話になりました。またあったね!とご挨拶を。一応ベースが『てとてトライオン』の感想になってます。ごく僅かなネタバレはあるかも。 ■選択肢――決定の不可能性について 主体が誰であり何であるかは前もって決まっていると考えれば、決定というものは存在しないと言いたい。言い換えますと、決定というものがあるとすれば、決定は誰や何かを前もって不可能にするとは言わないまでも中立化するに違いありません。誰であり何であるかがわかっていて、それを知っている者が主体だとすれば、決定は、単なる法則の適用にすぎません。言い換えれば、決定があれば、決定の主体はまだ存在せず、決定の対象も存在していないのです。 『てと

    highcampus
    highcampus 2010/02/19
    "選択をすることが出来る我々は、いや、選択を強制されている我々は((選択肢がないゲームは別として。))、主人公ではないということ、そして、それ故に、その選択は主人公の選択ではない"
  • 「みにきす」の感想 【 なすところをしらざればなり 】

    なすところをしらざればなりFOR I KNOW NOT WHAT I DO シナリオは近衛シナリオの一つしかないけど、実は編のどのシナリオよりも面白いんじゃないのか……?ってくらいに良かったです。その一つしかないように、『みにきす』はすごく短いワケなんですけど(あとなんか微妙なおまけが色々と)。 編でもさんざん語られていた、レオの「テンションに流されない」性格。その礎を築いたのが近衛素奈緒で、作では彼女のシナリオが収録されています。『つよきす』のシメとして、ピリオドを撃つものとしては相応しい。「主人公のトラウマに関わる」みたいな構図は、普通のギャルゲーだとメイン級の扱いですよね。 勿論(と言っても構わないでしょう)、『つよきす/みにきす』の場合は、トラウマというものが、エロゲ的な「救われるべき・助かるべき」障害としては描かれていない。その過去の出来事が、今の自分に影響を与えてるし、そ

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    highcampus 2010/02/12
    /つよきす/みにきす
  • きっと、澄みわたる朝色よりも、 雑感 【 なすところをしらざればなり 】

    なすところをしらざればなりFOR I KNOW NOT WHAT I DO たとえばここがプレイしたゲームの点数付けるブログでしたら、『きっ澄み』には「採点不能」を付けたでしょう。良い意味でも悪い意味でもなく、ただ単純に。 さて、ボクはこのブログで「作品のテーマ」とか「作者の伝えたいこと」とかいう言葉を(たぶん)一回も書いたことありませんが、そのくらいに、ボクはそういう言葉を疑っています。そもそもですね、テーマなんかなくても、伝えたいことなんかなくても、作品は完成できるワケでして。そもそも、テーマや伝えたいことがあったとして、それを作者がどれだけ理解しているか(自分のテーマ・伝えたいことを果たして自分自身で「理解して」いるのか)という、根的に揺らぐ疑念があるワケでして。それを十全に発揮・表現できるかという点もね。そしてもし仮にそれらが十全にあったとしても、作品はテーマ・伝えたいことで回収

    highcampus
    highcampus 2010/01/12
    "言わば「テーマ」「伝えたいこと」から逆算で出来上がった[…]かのような作品なので[…]極端な物言いをすれば物語が無いとも言えて、そしてだからこそテーマ・伝えたいことで割り切ることが可能である。"
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