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ブックマーク / www.scoopsrpg.com (2)

  • 『文芸批評家のためのルドロジー入門――ゲーム定義のパースペクティヴ』

    2009年 1月30日 高橋志行(godandgolem.inc*at*gmail.com) スパム対策のために@を *at* と表記しています。メール送信時には、ここを半角 @ に直して宛先として下さい。 1.はじめに――ルドロジーとは何か 論稿の目的は、読者諸氏に「ルドロジー」と呼ばれる新たな学問の潮流を紹介しつつ、ゲームを語ることばについての一定の視座を提供することである。 まずは「ルドロジー」について説明したい。これは、フィンランドの研究者であるゴンザロ・フラスカ(Frasca 1999)が提唱した、遊びやゲームを専門に取り扱う学問の潮流を指す。20世紀末まで、遊びやゲームをめぐる人文学的な考察の多くは、主に文芸批評、つまり物語論(ナラトロジー)的な立場から行われることが多かった。それに対してフラスカは、あくまでゲーム「それ自体独立したもの」として研究するアプローチ(Lu

    highcampus
    highcampus 2010/09/07
    "フラスカ(Frasca 1999)が提唱した、遊びやゲームを専門に取り扱う学問の潮流" "あくまでゲーム「それ自体独立したもの」として研究するアプローチ(Ludology)の重要性を強調"
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    はじめに みんなこんな経験はないだろうか。「一道シナリオ」と呼ばれる最悪のアンチ・パターンを避けるためにたくさんの分岐を作り、分岐によってシナリオの展開が変わるように配慮し、場合によってはエンディングもきっちりマルチになるように徹底的にシナリオを作り込む。完璧だ。まあ文才などの問題はあるにしても、セッションに持ち込むには十分だ(どうせ読むのは自分だ)。このシナリオなら、プレイヤーは「自分が結末までのルートを選択している」「この結末に至ったのは自分の選択ゆえだ」という実感を持ってもらえるに違いない。 ところが、セッション自体の成功・失敗はともかく、「この結末に至ったのは、自分がそう選択したから」という実感はほとんど、または全く持ってもらえない。時にはこういわれるだろう。「ストーリーはかなり良かったけど、ちょっと一道だったよね」。 いったい何が起こってるんだろう。シナリオには分岐があり、分

    highcampus
    highcampus 2010/07/18
    "一本道かどうか、それは問題ではない"/"シティ・アドベンチャーでの分岐" "制限こそが必要なものだ" "プレイヤーに選択の実感を与える3つの要素"
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