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『平成三十年』とは、平成九年十月現在、朝日新聞で連載されている小説である。作者は堺屋太一。文壇はもちろん、政界・財界にも一目置かれる大御所である。 今から約20年後の平成二十九年、閉塞した我が国の政治・経済を立て直し、生活者に魅力ある社会を築こうとする「産業情報省」の官僚・木下和夫の物語・・・と言って、現時点では間違いないと思われる。登場人物には「織田信介」「千野利久」など、戦国時代から桃山時代の歴史上の人物になぞらえたキャラクターが登場するが、まあ、それは良しとしよう。 この物語で堺屋太一が主張する政治的・経済的意図はともかくとして、本小説は別の意味でのおかしみに満ちている。 20年後の世界では、コンピュータやインターネットが人々の生活に深く浸透している・・・のだが、そのほとんどが平成9年の現在から全く進歩しておらず、一部には完全に退化さえしているのだ。 いったい、この20年の間に、我々
くどいようだが、「原発再稼働」問題についてコメントする。 「原発再稼働の法的根拠」 「法の支配、Rule of Law」が最も早く確立したのはイギリスで、1688年「名誉革命」により議会(封建貴族)が「権利の章典」をイギリス国王に認めさせて現実の制度となった。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E3%81%AE%E6%94%AF%E9%85%8D (法の支配) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%A9%E5%88%A9%E3%81%AE%E7%AB%A0%E5%85%B8 (権利の章典) 簡単に言えば、国王(国家元首)が議会の同意もなく、勝手に法を定めたり廃止したり、課税したりできないように定めた法律である。 「権利の章典」は現在も有効であり、これによりイギリスは「立憲君主制」になった。 何を言いたいかといえば
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記者会見の際に演台に取り付けられる内閣総理大臣章。青色版と赤色版がある 明治18年(1885年)に太政大臣・右大臣・左大臣の廃止に伴って内閣制度が始まるとその首班の官職として内閣総理大臣が設置された[4]。初代内閣総理大臣は伊藤博文。当初、その権能は内閣職権によって規定され、プロイセンのハルデンベルク官制を模範とした「大宰相主義」が取られ、内閣総理大臣には各省大臣に対する大きな監督権が付与されている特徴があった[5]。明治22年(1889年)以降は内閣官制によって規定されるようになり、「各大臣ノ首班」と位置付けられ、同輩中の首席(英語版)とされた[5]。内閣制度は、当初は議会や政党に捕らわれない超然内閣として始まったが、大正時代に本格的な政党内閣が出現した[5]。 戦後は日本国憲法と内閣法によって規定されている。内閣総理大臣は、行政権の属する内閣の首長で(憲法第66条1項)[6]、三権の長
黙想の祈り(Contemplative prayer)に関連する本を読み考えながら、ぼんやりと見えてきたものがある。気にかかっているうちにブログにメモしておこうかと思う。思うままに書くのであまりまとまったものにはならないだろうが。 黙想(Contemplation)とは何か? なぜそれがキリスト教において意味があるのか? 疑問の答えとは言えないまでも、いくつか書籍を読みながらぼんやりとした形が見えてきた。逆に言うと、なぜこの疑問がこれまで自分にとって、うまく浮かび上がってこなかったか?としてもよい。それは自分が接したキリスト教からは、そもそも見えづらいものだった。私と限らず近代が結果的に覆い隠してしまった面もある。 私自身を例にすると、接触したキリスト教には三つの面があった。一つは日本の近代化や敗戦に伴うプロテスタンティズムである。この伝統こそ黙想の祈りを覆い隠してしまうことが多い。クエー
1960年代以降に再評価される黙想の祈り(Contemplative prayer)は、英国中世の「不可知の雲」を直接的な源流としているが、それに終始することなく、黙想(Contemplation)を重視したキリスト教信仰の形態として古代の「砂漠の教父(Desert Fathers)」も再考されていた。この再考はキリスト教とは何だったのか、という問題を現代に投げかけている。 「砂漠の教父」に厳格な定義があるのか私は知らない。またこの視点がどのように生まれたかについてもわからない。一般的には、現在のスーダンに面するエジプトで暮らしたアントニウス(Αντώνιος)(251~356)を代表とするように、3世紀を中心としたエジプトの地のキリスト教の教父(Father)を指している。"Father"の訳語には「教父」の他に「師父」もある。現在的な訳語「神父」はない。この時代には現代的なキリスト教の
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