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  • 城ぶら「伊東館」!頼朝に立ち塞がった伊東祐親!八重姫の悲恋も…

    こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 街あるき好きにして、歴史好き。 そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。 今日の夢中は、伊豆伊東を治めた豪族伊東氏の居館跡「伊東館」です。 「鎌倉殿の13人」ゆかりの地!伊豆に配流された頼朝を預かった「伊東祐親の像」や八重姫・頼朝ゆかりの「音無神社」「日暮八幡神社」、「曽我兄弟の墓」も…。 ■城語り まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。 「伊東館」は、伊東氏代々の居館があった場所とされます。築城年代は定かではありません。 伊東氏は、平安時代末期から鎌倉時代にかけて伊豆国伊東荘を領として栄えた豪族で、藤原南家の流れをくむ伊東祐隆(工藤祐隆)を祖とします。 祐隆は、嫡男祐家が早逝していたため、後の娘の子祐継を嫡子として、領の伊東荘を継がせました。 一方、祐家の子祐親も養子に迎え、河津荘

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    hirari58 2022/02/27
  • 城ぶら「大庭城」!大庭景親の武勇と舟地蔵伝説が残る古城址

    こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 街あるき好きにして、歴史好き。 そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。 今日の夢中は、東相模に残る平安の古城址「大庭城」(神奈川県藤沢市)です。 「鎌倉殿の13人」ゆかりの地!相模に覇を唱えた大庭景親の広大な居城跡。戦国期には北条早雲も攻めました。悲しい「舟地蔵」伝説も…。 ■城語り まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。 平安時代の末期、この地は「大庭御厨」と呼ばれる伊勢神宮の荘園でした。 この荘園を開拓したのが、桓武平氏の流れをくむ鎌倉景正(権五郎、景政)。後に子孫は大庭氏に改姓し、この地を治めました。 城を築城したのは、景正の孫にあたる大庭景宗と言われます。 その子が、平氏の家人として相模国に覇を唱えた大庭景親。景親は、平氏打倒の兵を挙げた源頼朝を石橋山の戦いで破ると、その後も平氏

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    hirari58 2022/02/13
  • 城ぶら「花巻城」!取りつ取られつ…陸奥戦国の激戦を刻む城跡

    こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 街あるき好きにして、歴史好き。 そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。 今日の夢中は、岩手花巻ある戦国激戦の跡、花巻城です。 ■城語り まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。 築城年は定かではありません。 古くは、前九年の役のときに安倍頼時が城柵を築いたと伝えられています。 花巻城の前身は鳥谷ヶ崎城(とやがさきじょう)と呼ばれ、室町・戦国期に当地の豪族・稗貫(ひぬき)氏が治めていました。 その稗貫氏は、豊臣秀吉の小田原攻めに参陣しなかったために領地を没収されます。 鳥谷ヶ崎城には、秀吉麾下の浅野長政が入部しますが、旧領地を奪還しようとする和賀氏・稗貫氏が一揆を起こします(1590年)。 陸奥国の武将・南部信直らが援軍に駆けつけ、城を取り巻く一揆勢を撃退しますが、冬に城を護り通すのは困難と

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    hirari58 2021/12/13
  • 城ぶら「駿府城」!天下人・徳川家康が築いた天下の名城

    こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 街あるき好きにして、歴史好き。 そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。 今日の夢中は、徳川家康ゆかりの名城「駿府城」。日100名城の一つです。 ■城語り まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。 日100名城に数えられる駿府城。その歴史は、徳川家康の存在と切っても切り離せません。 もともと駿府の地には、14世紀に室町幕府から駿河守護に任じられた今川氏が拠点(今川館)を築いていました。 その今川氏が全盛となった9代義元の時代、家康(幼名:竹千代)は人質として駿府に送られました。 家康はここで、8歳から19歳までの約12年間、人質として生活しています。 今川義元が桶狭間の戦いで戦死すると、武田信玄が駿河に侵攻。 その武田氏も織田・徳川勢力により滅亡すると、駿河の武田領は徳川家康の支配下とな

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    hirari58 2021/11/29
  • 城ぶら「山形城」!出羽の勇将・最上義光、飛躍の名城

    こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 街あるき好きにして、歴史好き。 そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。 今日の夢中は、出羽の名将・最上義光、飛躍の名城「山形城」。別名「霞城」(かじょう)。日100名城の一つです。 ■城語り まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。 山形城は、羽州探題として山形に入った斯波兼頼(しばかねより)が1357年に築城したことに始まります。 この後、斯波氏はやがて「最上氏」を称するようになり、代々、山形城を居城としました。 戦国期に入り、11代・最上義光の頃に城郭を拡大し、三ノ丸を構築、城下町の整備を進めます。 さらに義光は、関ヶ原の戦いで東軍に与し、「北の関ヶ原」と呼ばれる慶長出羽決戦で西軍・直江兼続軍を退けます。 その功績により、義光は家康から57万石の領地を認められ、山形藩の初代藩主となり

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    hirari58 2021/11/13
  • 城ぶら「志波城」!築城は1200年前…いにしえの風に逢う古代城柵

    こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 街あるき好きにして、歴史好き。 そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。 今日の夢中は、いにしえの風ただよう、平安初期の古代城柵の跡、志波城(しわじょう)です。 ■城語り まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。 志波城(しわじょう)は、平安時代の初期に造営された古代城柵(じょうさく)です。 奈良~平安時代、北東北に住む人々は蝦夷と呼ばれ、天皇を中心とした政府の統治外にいました。政府は勢力を拡大し、東北北部をも統治下におさめるために、「城柵」(行政と軍事の拠点の役所)を造営しました。 その城柵の一つ「志波城」は、桓武天皇の名を受けた坂上田村麻呂によって造営されました。 築城年は、1200年以上も前、延暦22年(803年)と記録されています。 古代陸奥国に造られた十数か所の城柵のうち、最も北に

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    hirari58 2021/11/07
  • 城ぶら「坂戸城」!上杉景勝・直江兼続ゆかり標高634mの山城

    こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 街あるき好きにして、歴史好き。 そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。 今日の夢中は、上杉景勝・直江兼続ゆかりの城、「坂戸城」(さかどじょう)です。 ■城語り まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。 標高634mの坂戸山を要塞化した大規模な山城、坂戸城。 その築城は、鎌倉時代とも南北朝時代とも言われています。 南北朝動乱期に、北朝についた上杉憲顕が越後の守護に任じられると、その家臣・長尾高景の一族の者が越後上田荘を領し、上田長尾氏を称して、坂戸城を居城にしたと伝承されます。 上田長尾氏は、交通の要所にして魚沼の穀倉地帯を擁する当地を支配して、守護代の長尾氏(府中長尾氏)とならんで、越後国に枢要な地位を占めることになりました。 しかし室町末期、守護代の長尾為景が守護の上杉氏を排斥して越後一

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    hirari58 2021/10/03
  • 城ぶら「小机城」!空堀好きにはたまらない…横浜の戦国城址

    こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 街あるき好きにして、歴史好き。 そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。 今日の夢中は、横浜にある戦国の城跡、小机城です。 ■城語り まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。 小机城は、永享年間(15世紀前半)に、関東管領上杉氏によって築かれたと言われます。 この城が歴史に登場したのは、上杉氏の家臣が主家に対して反乱を起こした、長尾景春の乱(1476~80年)。 このとき、景春の味方をした豊嶋氏が小机城に立て籠もり攻守戦を繰り広げました。 この小机城を攻撃したのが、江戸城を築城したことで有名な太田道灌。 道潅は城攻めにあたり、「小机はまず手習いの初めにて、いろはにほへとちりぢりとなる」と歌を詠んで味方を鼓舞しました。 そして鶴見川対岸の亀の甲山から果敢に小机城に攻め寄せ、2か月かけて城を攻め

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    hirari58 2021/09/20
  • 城ぶら「明徳寺城」!真田昌幸が急襲した真田vs北条攻防の城

    こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 街あるき好きにして、歴史好き。 そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。 今日の夢中は、真田・北条の激戦の城跡、明徳寺城(みょうとくじじょう)です。 ■城語り まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。 明徳寺城は南北朝時代、会津の蘆名氏の来攻に備えて沼田氏が築いた天神山砦を改装したものと考えられます。 明徳年間(1390~94年)、僧の松庵が城郭の下に明徳寺を開山したことから、現在の名称が一般的となっています。 戦国期に入ると、沼田氏滅亡後の沼田は群雄割拠の場となり、上杉氏の統治を経て、1579年に北条氏が領有するところとなりました。 この地を虎視眈々と狙っていたのが、信州の真田昌幸です。昌幸は、吾の岩櫃城を拠点に、名胡桃・小川の両城を攻略。これに対し、北条方は明徳寺城に軍備を配し、名胡桃

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    hirari58 2021/08/29
  • 城ぶら「沼田城」!真田信幸・小松姫が守り抜いた戦国真田の城

    こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 街あるき好きにして、歴史好き。 そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。 今日の夢中は、真田信幸から真田氏が5代にわたって支配した、沼田城です。 ■城語り まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。 沼田城は、1532年ごろに沼田顕泰によって、その原型となる城が築かれたと言われます。 戦国期に入ると、沼田の地は、上杉・武田(真田)・北条の有力大名の狭間にあって、その属城として幾多の変遷をたどります。 1590年に北条氏が滅亡すると、沼田は真田氏の領地になります。 当主・昌幸は、この要衝を治めるために嫡男の信幸を派遣します。信幸は初代城主として、城郭の整備を手掛けます。 慶長年間(1596~1614)には、五重の天守をはじめ各種櫓や門の建造が進み、近世城郭が出来上がったと考えられます。 なお、関

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    hirari58 2021/07/12
  • 城ぶら「名胡桃城」!戦国の帰趨を握った真田の山城

    こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 街あるき好きにして、歴史好き。 そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。 今日の夢中は、智将・真田昌幸の築いた山城、名胡桃城です。 ■城語り まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。 名胡桃城は、群雄割拠の戦国時代を智謀で駆け抜けた真田昌幸が築いた山城です。 実は城があった期間は10年ほどにもかかわらず、ここを舞台にした事件が乱世を終わりに向かわせることになりました。 この地を含む沼田地方は、上杉氏・武田氏(真田氏)・北条氏による争いが繰り広げられました。 その間隙をぬって、1579年ごろ、真田昌幸が吾方面から進出して、前線基地として名胡桃城を築くと、翌年には沼田城を手中におさめました。 1589年、豊臣秀吉は北条氏政・氏直親子と真田昌幸による北毛地域の領地争いを裁定しましたが、同年、真田

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    hirari58 2021/07/04
  • 城ぶら「高島城」!かつて諏訪湖に浮かぶ城に思いを馳せて

    こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 街あるき好きにして、歴史好き。 そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。 今日の城ぶらは、信濃国諏訪にある名城、高島城です。 ■城語り まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。 高島城は、長野県諏訪市にある平城です。 「続日100名城」に認定されている石垣の美しい名城。諏訪市指定史跡になっています。 この高島城を築城したのは、豊臣秀吉の家臣・日根野高吉です。 1590年、豊臣秀吉が北条氏を攻略すると、それまで諏訪を治めていた諏訪頼忠を移封して、北条攻めに功のあった高吉に当地を与えます。 高吉は、諏訪の地に入ると、諏訪湖に突き出た島(高島)に新たに城を築くことを決めます。 1592年に普請を始め、1598年に完成したと言われています。当時は、波が石垣に打ち寄せ、諏訪湖に浮かぶように見えたので

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    hirari58 2021/04/11
  • 城ぶら「大多喜城」!徳川四天王・本多忠勝ゆかりの千葉の名城

    こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 街あるき好きにして、歴史好き。 そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。 今日の夢中は、徳川四天王・多忠勝ゆかりの千葉の名城、大多喜城です。 ■城語り まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。 徳川四天王の一人、多忠勝ゆかりの大多喜城。 その築城は1521年、上総国の戦国大名・真里谷信清が「小田喜城」として築いたのがはじまりとされます。 その後、上総国をめぐる里見氏との抗争の舞台となり、城主を変えながら戦国時代末期をむかえます。 そして1590年、里見氏に替わって同地の支配権を得たのが徳川家康でした。家康は腹心の勇将・多忠勝を城主に任じます。 忠勝は上総に入ると、里見氏への備えとして、大多喜城を近世城郭に大改築。 ふもとに城下町を整備するなど、いまの大多喜の街の基盤をつくりました。 そ

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    hirari58 2021/04/04
  • いざ城ぶら「二条城」!徳川の栄枯盛衰を見つめた世界遺産の名城

    こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 街あるき好きにして、歴史好き。 そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。 今日の城ぶらは、世界遺産に登録されている、京の都の荘厳な城、二条城です。 ■城語り まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。 京都の名城「二条城」。その名が歴史に刻まれるのは、戦国時代の終わりからです。 織田信長が足利義昭を擁して上洛。義昭が室町15代将軍となるのを援けると、その義昭のために、京都に二条城を築きました。 なお、織田信長が築いた二条城は、現在の二条城とは別の場所(北東)にありました。 この二条城は、現在の二条城と区別するために「旧二条城」と呼ばれています。 しかし、やがて両者は袂を分かちます。義昭は信長を討つために挙兵しますが敗退。 旧二条城は破却・解体され、その材木などは安土城に転用されたと伝えられます

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    hirari58 2020/11/22
  • 城ぶら「亀山城」!ときは今…明智光秀、決意の亀山城

    こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 街あるき好きにして、歴史好き。 そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。 今日の夢中は、明智光秀が築いた京都亀岡の城、亀山城です。 ■城語り まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。 亀山城は、織田信長から丹波攻略の命を受けた明智光秀が、その拠点として1578年に築城しました。 創建当初は3重天守であったと言われています。 1582年、信長から光秀に、毛利軍と戦う羽柴秀吉の援軍として中国出陣の命令が下ります。 同年6月、ここ亀山城を出発した光秀は、突如進路を変えて京都市中にある能寺を襲撃。主君である信長を討ちました(能寺の変)。 しかし、その光秀も、中国大返しにより京都に駆け付けた秀吉との戦いに敗れ、逃走中に討ち死。 その後、亀山城は、秀吉の重要拠点として羽柴秀勝、豊臣秀俊(小早川秀秋)

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    hirari58 2020/11/15
  • 城ぶら「上田城」!徳川軍を2度も撃退した真田の名城

    こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 街あるき好きにして、歴史好き。 そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。 今日の城ぶらは、歴史ファンならずとも一度は行きたい人気の城、真田家ゆかりの名城、上田城です。 ■城語り まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。 上田城と言えば、真田昌幸が徳川軍を二度にわたって撃退した、難攻不落の城として知られています。 築城は1583年。当時、徳川家康に与していた昌幸は、北の上杉への防衛拠点として、ここ上田の地に着目します。 家康に築城を進言すると、その提言は受け入れられ、昌幸は築城を任されました。 だから、上田城は、徳川方の資金を得て築城が進められたんですね。 この後、昌幸は家康を裏切り、二度にわたって徳川軍を撃退するんだから、なんとも皮肉というか、老練というか…。 最初の戦い、第1次上田合戦がぼ

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    hirari58 2020/11/08
  • 城ぶら「小諸城」!センゴクの夢の跡、懐古園をぶら歩き

    こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 街あるき好きにして、歴史好き。 そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。 今日の城ぶらは、日100名城の一つ、現在は懐古園として公開されている、小諸城です。 ■城語り まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。 日100名城の一つ、小諸城。 小諸城は、その城郭が城下町よりも低い場所に位置する「穴城(あなじろ)」。日で唯一といわれています。 その起源は、平安時代末期。 「平家物語」にも登場する木曽義仲の武将・小室太郎光兼(小諸太郎と表記されることも)が当地に館を構えたのがはじまりです。 戦国時代になると、武田信玄の命によって山勘助らが縄張りして築城。小諸城の原型ができたとされています。 武田氏が滅びると、織田信長の将・滝川一益の領地となりますが、その信長も命を落とすと、北条、徳川、上杉、

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    hirari58 2020/11/02
  • 城ぶら「小田原城」!戦国の命運を握った難攻不落の城

    こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 街あるき好きにして、歴史好き。 そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。 今日の夢中は、日100名城にも登録されている関東を代表する名城、小田原城です。 ■城語り まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。 東海道の要衝を守った、難攻不落の堅城、小田原城。 その築城は15世紀中ごろ、室町時代に西相模一帯を支配していた大森氏によるものと言われています。 ただその城が日の表舞台に表れるのは、戦国の風雲児・北条早雲がこの城を攻略してから。 明応4年(1495年)、北条早雲はときの城主・大森藤頼を急襲し、小田原城を奪取。この後、北条5代約100年に続く繁栄の基礎を築きました。 小田原城を居城とした北条氏は、ここから関東一円に勢力を拡大していきます。 しかし天正18年(1590年)、豊臣秀吉による小

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    hirari58 2020/10/04
  • 米沢ぶら歩き!名君・名将眠る「上杉家廟所」と「林泉寺」

    こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 今日の夢中は、米沢の街をぶら歩き。上杉家ゆかりの史跡をめぐります。 ■上杉家廟所 江戸初期から上杉家が治めた山形米沢の街。 米沢城址をぶら歩きしたその後は、市街にある上杉家ゆかりの史跡をめぐりましょう。 まずはじめに訪れたのがこちら。「上杉家廟所」です。 米沢藩上杉家の歴代藩主が眠る墓所です。 中央正面奥にあるのが、戦国時代の名将、上杉謙信の廟です。 その遺骸は、上杉家の移封にともなって、越後春日山から会津若松、山形米沢へ移されました。 その謙信を敬い、その遺骸を運び、安置したのが2代(初代米沢藩主)景勝です。 苦難の生涯を歩んだ景勝の廟は、謙信の廟屋の向かって左にあります。 この地に眠っているのは、12代斉定までの米沢藩主です。 家祖・謙信を中央に、2代景勝から12代斉定まで、左右交互に廟が建っています。 よく見ると、途中で廟の造り

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    hirari58 2020/03/22
  • 城ぶら「米沢城」!上杉謙信、伊達政宗、上杉鷹山ゆかりの城跡

    こんにちは。夢中図書館へようこそ! 館長のふゆきです。 街あるき好きにして、歴史好き。 そんな人たちにとって最高の旅。それが城めぐりのぶらり旅、略して「城ぶら」です。 今日の夢中は、戦国武将好きなら絶対訪れたい山形米沢の城、米沢城です。 ■城語り まずは、物語りならぬ城語り(しろがたり)から。 上杉謙信、伊達政宗など戦国武将ゆかりの米沢城。 その築城は鎌倉時代。幕府の重臣である大江広元の次男・長井時広が1238年に城を築いたのが始まりとされています。 室町時代に入ると、当地に勢力を伸ばしてきた伊達宗遠が長井氏を追放。以降、200年ほど、米沢城は伊達家の支配となりました。 この米沢城で生まれたのが、伊達政宗です。 政宗は、米沢城などを拠点として東北で領地を拡げていきますが、当時の覇者・秀吉に睨まれ、岩出山城に移封されました(1591年)。 その後、米沢城は蒲生氏郷の支配となりますが、わずかの

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    hirari58 2020/03/15