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ブックマーク / mb101bold.cocolog-nifty.com (6)

  • レンタル日記とブログ - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    ブログができる前は、レンタル日記というサービスがありましたよね。というか今もありますね。「エンピツ」とか「さるさる日記」とか。 テキストサイト全盛の頃、「htmlとか書けなくても大丈夫。レンタルで気軽に日記を公開。」みたいなコンセプトで、知り合いにも使っている人がちらほらいました。おもしろいから使ってみたら、と誘われたりもしましたが、どうも日記というのがいまいち私にはピンと来ませんでした。今まで日記なんか夏休みの宿題でしか書いたことがないし、みたいな感じです。 そんな私が、もはやブロガーといっても何の違和感もないくらいな感じでブログを書いているのは不思議な気がします。Movable Typeが標榜していた「Personal Publishing System(現在はSocial Publishing Platform)」のPersonal Publishingの部分に、なんとなく、これいい

    レンタル日記とブログ - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    hiro_y
    hiro_y 2009/08/17
    「時間が経って機能が高度化していくと、やがてコンセプトが製品の実体を支えきれなくなります。製品がコンセプトをどんどん裏切っていくんですよね。」
  • うちの妹的ネット観 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    妹と話しているとネットの話になって、こんど「兄ちゃんのブログ読ませてえな」と言いよるから、「えっ、パソコン持ってないの?」と言うと、自信満々に「そんなもの必要ないがな」と言いよったんです。「せやけど、ネットないと困るやろ。」と言うと、「ケータイあるし」と。 「ほんじゃ、ケータイでミクシィとかグリーとかモバゲー!とかやってんの?」 「ああいうの、あかんねん。」 「なんでえな、おもろそうやで。」 「あかんて、怖い。」 「何が怖いねん。」 「書き込み、怖い。」 「おまえ、社交的やのに。」 「怖いて。顔しらんねんで。」 まあ、そんな考え方もあるなあ。ちなみにうちの妹は、大阪の梅田でショットバーをやってて、明るくて、誰とでも気さくにしゃべれて、まさに「口から生まれたんか」というタイプ。ネットサービスは、コミュサービスもEコマもまったく使わないけれど、メールはヘビーユーザで、関西のいろんな芸人さんやミ

    うちの妹的ネット観 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    hiro_y
    hiro_y 2009/07/15
    「あかんて、怖い。」 「何が怖いねん。」 「書き込み、怖い。」「おまえ、社交的やのに。」「怖いて。顔しらんねんで。」
  • 「ゆるさ」をつくる。「のりしろ」をつくる。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    てなことを、ここ数年、広告づくりで意識的にやってきたんですが、そのことは思いのほか人に説明しづらいものだな、と思っています。「ゆるさ」とか「のりしろ」を設計するというのは、ちょっと形容矛盾を含んでいるし、どうしても厳密さや精密さに比べると説得力に欠けますから。 でも、人が惹き付けられるものは、広告で言えば、じつは、その首尾一貫したわかりやすいメッセージ(これは前提)のところどころに見える「ゆるさ」の部分だと思うし、その「ゆるさ」が「のりしろ」になります。なんでもそうだと思いますが、「のりしろ」の部分がない表現は、見事だという賞賛は得られても、そこで終わってしまうから、広がらないんですね。 この「ゆるさ」というのは、よく言われるクリエーターの、メッセージやコンセプトから離れた「遊び」や「こだわり」というものとは違って、あらかじめ設計するたぐいのもののように思います。どこにも綻びのないコンセプ

    「ゆるさ」をつくる。「のりしろ」をつくる。 - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    hiro_y
    hiro_y 2009/07/04
    「人が惹き付けられるものは、広告で言えば、じつは、その首尾一貫したわかりやすいメッセージ(これは前提)のところどころに見える『ゆるさ』の部分だと思うし、その『ゆるさ』が『のりしろ』になります。」
  • トレインチャンネルが少し変わりましたね - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    JR東日の山手線、京浜東北線、中央線などの車内で放映されているデジタルサイネージ放送に、「トレインチャンネル」というものがあります。東京でJRを使って通勤・通学している人は見たことがあるのではないでしょうか。デジタルサイネージと言えば、スーパーや薬局なんかで小さな液晶モニターで情報やテレビCMを流したり、大小含めて様々な取り組みがありますが、この「トレインチャンネル」は、代表的な成功例のひとつではないでしょうか。 現在は、車内の扉上に左右2つの液晶画面があって、一方は放送コンテンツが映し出され、もう一方は、行き先情報や運休情報が流されています。新型車両が導入される前は、今より小さな画面ひとつだけで、放送コンテンツと情報が交互に流される仕組みでした。この「トレインチャンネル」の人気が出たのは、2画面になってからだそうです(参照)。以前、1画面の頃に、この媒体で流す映像広告を作ったことがあり

    トレインチャンネルが少し変わりましたね - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    hiro_y
    hiro_y 2009/05/05
    山手線の。「この2画面体制後に人気が出たという現象は、広告というものの本質をよく表しているような気がします。つまり、広告は本質的にサブコンテンツであるということ。」
  • スナフキンはどこへ行った - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    コピーライターが若い人の憧れだった頃、コピーライターの言葉はスナフキンの言葉だった。少なくとも多くの若いコピーライターは、スナフキンの言葉を書きたがった。つまり、スナフキンになりたがった。企業の言いたいことの代弁でもなく、かといって消費者の生の言葉でもない、そのふたつの境界上で語られる言葉。その言葉を書けるのは、コピーライターしかいない。そんなふうに思っていた。その自負があった。 スナフキンというのは、春になるとムーミン谷に戻ってくる吟遊詩人。自由と孤独、音楽を愛し、ややこしい人間関係からも、厳しい現実からも一歩身をひいて、真実らしい言葉を言葉少なに語って、その言葉だけを残して、冬が来る前にまた旅に出かけていく。 「そのうちなんてあてにならないな。 今がその時さ。」 「大切なのは、自分のしたいことを、自分で知っている事だよ。」 「おまえさん、あんまりおまえさんがだれかを崇拝したら、ほんとの

    スナフキンはどこへ行った - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    hiro_y
    hiro_y 2009/04/02
    広告の言葉がいい意味で浮世離れしたものになれない時勢。
  • 言葉の速度について - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)

    広告は見てもらえる、みたいな気持で作るなというのは、マス広告の危機だなんだといわれる前からよく言われることで、とあるクリエイターは、きれいなポスターをつくってきた後輩クリエーターに対して「キミ、この広告で人が振り向くと思う?例えばさ、白いポスターの真ん中にうんこがあるとするじゃない。それ、気持いいかどうかはともかく、見るよね。そのうんこのポスターに勝たないといけないのよ。」と言ったそうです。まあ、うんこのポスターは極論だとは思いますが、広告は、「そんなもの誰も見るかいな」みたいな気持でつくってちょうどいいんじゃないか、と思います。 新聞広告でも、テレビCMでも、ポスターでも、ウェブバナーでも、広告である限り、まずは見てもらうことが大事。でもそれは第一段階クリア、みたいなことに過ぎなくて、そのあとの段階がいくつもあります。これだけ情報が多くなってきた今の世の中、人々の広告に対するスルー力はか

    言葉の速度について - ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)
    hiro_y
    hiro_y 2009/02/07
    漢字を必要に応じて「ひらく」こと、文字の速度、リズム。
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