昨日読んだチェコ好きさんのVALUの投稿で「なぜ『暮らし』は、清廉潔白になるのか?」という話が、とってもおもしろかったです。 参照:チェコ好きさんのVALU ホルダー限定投稿なのでここで詳しく書くことができないのですが、この問いがすごく興味深いなあと思ったので自分もしばらく考えてみました。 今日はこの問いについて、自分なりの仮説を少し書いておきたいと思います。 戦争に対して、カウンターとしての「暮らし」。 思うに、「暮らし」という言葉の文脈には、戦争に対してのカウンターとしての意味合いが強いのだと思います。 それはやっぱり、間違いなく雑誌「暮しの手帖」の影響です。 花森安治さんが自身の戦争体験をもとに「暮しの手帖」を創刊したこと、そしてこの雑誌が人気になっていく過程で、戦後の「暮らし(暮し)」文脈が形成されたことにある。 参照:「暮らし」というテーマに人生を賭けることの意味。 | 隠居系男