社会人でありながらオタクをやる、というのは、学生時代とはまた意味が変わってくる。 よく使われる物言いだが、学生は「お金は無いが時間がある」。新しくハマったジャンルの作品を片っ端から鑑賞したり、とにかく関連書籍を読み込んだり、そうやって内に籠って数を当たることができる。対する社会人は、「お金はあるが時間が無い」。何かと仕事や社会人としてのアレコレに忙殺されてしまうので、以前より数を拾うことができなくなるが、お金をかけた「大人買い」や「遠征」といったアクションが可能になる。 しかし一番の違いは、「周囲との折り合い」なのかもしれない。私はよくこれを「パブリックイメージとの差」と表現するが、哀しきかな、未だに「オタク」を素直に受け入れてくれない人は多い。 といっても、これは例の88年の事件当時と比較すると劇的に変化した認識だと思われるが、しかし未だに「オタクであることを隠している」もしくは「積極的