京セラ、KDDIを創業し、日本航空(JAL)を再建した稲盛和夫氏。1984年にKDDIの前身であるDDI(第二電電企画)を立ち上げたとき、「できるわけがない」と散々に言われたといいます。それでも通信事業の自由化に挑戦したのはなぜか。稲盛氏は「『人間として何が正しいのか』を考えた結果」といいます。どういうことか。「稲盛哲学」の具体例を紹介します――(全3回)。 ※以下は稲盛和夫『活きる力』(プレジデント社)からの抜粋です。 1984年に新規参入した「第二電電」の挑戦 私は、1984年に、通信事業の自由化に伴って、第二電電企画(DDI)という会社をつくりました。 現在では、KDDと日本移動通信(IDO)を合併しまして、KDDIという、NTTに次ぐ国内第2位の通信会社になっています。そのKDDIの売上は、約3兆円。京セラとKDDIをあわせた売上は、4兆円を超えるまでになっています(※売上などにつ
![KDDIが成功した「たったひとつ」の理由 稲盛和夫の熱中教室:その2](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/485de13b9bcccbeeeb766a55d88c00267d67a011/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fpresident.ismcdn.jp%2Fmwimgs%2Fb%2F8%2F1200wm%2Fimg_b80c9306d07d5d12630e678900551fa952986.jpg)