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議論に関するhiroomiのブックマーク (2)

  • ブログはじめますた:議論できる人、できない人

    今年に入って、いわゆる「議論したい人」のお話を聞いているうちに、どうやら、議論できる人とできない人、2タイプいるということが分かってきました。 A「俺、朝は毎日納豆に味噌汁だよ。納豆サイコー!」 B「あー、あたしも納豆大好きー。ねぎとか入れるとおいしいよね!」 A「だめだよ。納豆にねぎ入れるなんて邪道。」 B「えー、おいしいのにー。」 C「は?納豆なんてべれたもんじゃないじゃん。あんなまずいもののどこがいいんだよ。」 A「え?だって納豆うまいじゃん」 C「うまくないよ。腐ってるんだぜ。」 という会話が交わされているとします。 この場合、「納豆はうまいかどうか」「納豆にねぎを入れるかどうか」について話し合われているのであり、 「納豆をべる人をどう思うか」 「納豆にねぎを入れる人をどう思うか」 について話し合われているのではありませんね。 議論に向いている人というのはつまり、 「自分が納豆

    ブログはじめますた:議論できる人、できない人
    hiroomi
    hiroomi 2010/04/29
    質問の仕方で瞬時に裏表に行けそうだ。なにが正しいのかは確認しておかないと。
  • 「コミュニケーション能力」論の罪 - hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)

    さて、先日ご案内した岩波書店の「自由への問い」シリーズの第6巻『労働』ですが、冒頭の佐藤俊樹・広田照幸対談が大変面白いので、是非お読みになることをお勧めいたします。 ここでは、そのうち、「コミュニケーション能力」論の罪と題する一節から、 >佐藤 この空白恐怖は、貴戸さんが描き出した、働くこととコミュニケーションスキルや社交性がなぜこれほどきつく結びつけられてしまうのか、という現在の問題につながってきます。もし働くことが特定の職務に強く結びついていれば、「ここでちゃんと働いているのだから、あとは関係ないでしょう」といえる。働く内容も「今はここまで」みたいに分割できる。それに対して日型のメンバーシップでは、働くことと具体的な内容が直接結びついていない。だから、周囲の人とうまくやるとか円滑にこなすと行ったことが、まっとうな働き方の大事な要素とされてしまう。それぞれの仕事当に必要とされる以上

    「コミュニケーション能力」論の罪 - hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)
    hiroomi
    hiroomi 2010/04/29
    人を責めてるのか仕事のやり方なのか、やり方は組み合わせでどうにでもなるけど。
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