『画報 現代史 第1集 1945.8-1946.1』 (国際文化情報社、昭和30年)より 帝都空襲 被害略図 ※クリックで拡大 ◆東京大空襲(昭和20年3月10日)とそれ以降終戦までの都内目標の空襲については 「木造家屋と中小工場が密集する下町を中心に焼き払われた」 と記述されることが一般的です。 一方、「焼かれなかった所」 に注目するとアメリカは、終戦後の占領軍政と経済再建に重要な箇所には意図的に爆撃を避けたことが分ります。 ▼参考:Schwarzschild Cafe - 復刻版「コンサイス東京都35区区分地図帖」 (昭和21年調査の詳細地図あり) 半蔵門にあるイギリス大使館だけが、見事に焼け残っているのが判る。 <以上引用> ◆本所(現・墨田区)、深川(現・江東区)が甚大な被害を受けたことは よく知られていますが、それ以外の被災地は、 ・日本橋/浅草/上野/淀橋(新宿)/豊島(池袋