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ブックマーク / bungaku.cocolog-nifty.com (6)

  • 山川純一を追い出した竜さんが…… - 伊藤文学のひとりごと

    「どうして三島由紀夫さんは、希代の理知をぶっとばしての自己肉体愛なのであろう。 二十代の避暑地での三島さんについて、著者は『痩せた裸が恥ずかしいのなら、海水パンツひとつで白日の下に出てこないはずである。それなら股間が……が、その点になると私のものとは比較にならぬぐらい立派なのであった。』という。 さて、それなら著者、福島氏の性器とはどんなものであろうかと、僕はいぶかる。 『週刊文春』に出ていた写真の若き日の福島氏に、若き日の僕は似ている。柄も大きい。その僕が、あの時の福島氏と同じ年齢の時、僕は三島さんに、ある秘密パーティーで会い、誘われて後日デートした。 当時、人気いちばんの日活ホテルのグリルに現れた三島さんは、原語でいくつかの料理を注文した。警視庁の剣道場で練習をしてきたのだと言った。 そしてタクシーで大久保の秘密めいた粋な旅館に行った。部屋に入るとシャワーをあびたらと僕は言われ、そうし

    山川純一を追い出した竜さんが…… - 伊藤文学のひとりごと
    hisamichi
    hisamichi 2012/10/26
    via nicebody 三島由紀夫
  • 戦後、アメリカに渡った少年たちは幸せになっただろうか? - 伊藤文学のひとりごと

    北朝鮮が多くの日人を拉致したということは許しがたいことだが、ひとりの人間の欲望のために、日人の少年を連れ去ったとすれば、これも問題ではなかろうか。 戦時中から戦後にかけての日の混乱期のことは体験したことのない、戦後生まれの人に理解してもらうことは難しい。 米軍の無差別な空襲によって、家を焼かれ親兄弟をも無くして孤児になった子供たちが、上野の地下道に寝泊りしていた。 アメリカお金持ちが、それらの少年をアメリカに連れて行ったという話は、戦後の新聞紙上に美談として記事になっていた。 もちろん純粋な気持ちで少年たちをアメリカに連れて行って面倒を見た人もいたに違いない。しかし『薔薇族』の編集長として長い間、同性愛の問題に取り組んできたぼくとしては、どうしても少年愛のアメリカ人が日の少年を連れて行ったのではないかと、推測して考えている。 何年か前にアメリカのカソリックの神父さんが少年に手を出

    戦後、アメリカに渡った少年たちは幸せになっただろうか? - 伊藤文学のひとりごと
    hisamichi
    hisamichi 2010/01/28
    戦災孤児の米渡航 美談の裏事情について>当時、アメリカのゲイにとって、日本は天国であった。日本はアメリカのようにホモを禁じた法律もなければ、戒律もなかった。金と力さえあれば、自由に行動できた。
  • 隣の客が『薔薇族』を読んでいた! - 伊藤文学のひとりごと

    30数年前の話。その頃の『薔薇族』と読者との最初の出会いは劇的だった。これは青森県に住む読者からの手紙。 「『薔薇族』のことは以前から知っていたのですが、田舎町のため購入することができず、また通信販売でという勇気もなく、残念に思い続けてきました。 ところが先日、思わぬチャンスがあり、『薔薇族』を入手しました。旅行中に隣席に座っていた客が、見慣れぬ雑誌を楽しそうに読みふけっていました。 その日は乗客が少なくノンビリムード。しばらくすると隣の客が雑誌をふせ、目を閉じているので、なにげなく表紙に目をやると、なんと『薔薇族』ではありませんか。 私の胸は高鳴り、興味のある雑誌を眼前にした感激で、いっぱいとなりました。私が熱心に客のひざの上にある雑誌に視線を向けていることを感ずいたのか、隣の客は細く目を開け、「よかったら、どうぞ」と差し出してくれました。「すみません、お借りします」。私は熱心に雑誌を読

    隣の客が『薔薇族』を読んでいた! - 伊藤文学のひとりごと
    hisamichi
    hisamichi 2009/07/29
    >卑劣な奴だ。わざわざ隣町まで出向いて、消してくるのも馬鹿らしいし、それと同時に僕の心のどこかで、それを素敵な人が読んで電話をかけてくれないかと思ったりして。困ったことだ。
  • 祖父の痛々しい写真が見つかった! - 伊藤文学のひとりごと

    僕の祖父、伊藤富士雄は、大正時代に、「廓(くるわ)」に女郎として、貧しい農家の娘が 親に売られていたのを千人近くも救い出した。 救世軍に救い出されてしまうと、廓の経営者は損をしてしまうので、暴漢をやとっていて、 それを阻止しようとしていた。 古いアルバムから、祖父が暴漢に襲われ、大ケガをし、病院に担ぎ込まれて手当をされている写真が見つかった。それと救い出した女郎たちに囲まれている写真と。 沖野岩三郎著『娼妓解放哀話』(昭和5年、中央公論社刊)に、その時の様子が書かれている。 「歌之助としのぶ(女郎の廓での名前)の両人は、病気のため洲崎病院に入院していて、 そこから手紙をよこしたので、伊藤君は洲崎病院に二人を訪問して、その決心を聞いたところ、どうしても廃業するというので、伊藤君は早速、樓主に電話をかけると、二人の樓主は、たちまち二十人ばかりの暴漢をひきいてやってきた。 伊藤君が二人の娼妓を連

    祖父の痛々しい写真が見つかった! - 伊藤文学のひとりごと
    hisamichi
    hisamichi 2009/01/02
    nodalm 廃娼活動家暴漢に襲わるの巻
  • 40年前の精液の飛び散った雑誌 - 伊藤文学のひとりごと

    「ADNS」1号 『薔薇族』の創刊は商業誌として、トーハンや、日販などの取次店を通して、日全国の書店に配するという点では、日初ということになるが、正規のルートを通さない、小部数の同人誌のような雑誌は存在していた。 『ADNIS』という雑誌の第1号は、昭和27年9月10日に「アドニス会」から刊行されている。会員制で非売品となっており32頁しかない。第1号の目次を見ると、難しい読み物ばかりが並んでいる。この時代に同性愛の雑誌を出すとなると、医者が書いた読み物とか、江戸時代の衆道の文献「男色十寸鏡」の研究記事、高橋鐵さんの「老男根への憧憬」というような記事でも、当時の読者は興奮して読みふけっていたのだろう。 読者の投稿の頁に、こんな文章が載っている。『薔薇族』が創刊される19年も前の話だから、どんなに読者が待ち望んでいたことか。 「逃げられぬ深い孤独もいくぶんでも慰められるなら、どんなに難

    40年前の精液の飛び散った雑誌 - 伊藤文学のひとりごと
  • 月刊『薔薇族』編集長 伊藤文學の談話室「祭」

    初代『薔薇族』編集長のつぶやきブログ

    月刊『薔薇族』編集長 伊藤文學の談話室「祭」
    hisamichi
    hisamichi 2007/05/21
    『薔薇族』自力復刊編集長のブログ 表紙は「やらないか」のヤマジュン
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