ブックマーク / wallerstein.hatenadiary.org (9)

  • 大学の細切れ雇用 - 我が九条

    タカマサさん経由(タカマサのきまぐれ時評2 講師の「細切れ雇用」で、大学は教育できるのか?(日経BP))。 「もう専任講師の道は諦めた」 そう話すのは、第二外国語の非常勤講師、立石誠司さん(仮名、44歳)だ。誠司さんは早稲田大学を卒業後、大学院に進み外国文学を学んだ。修士課程で2年、博士課程は6年在籍して、所定の単位を取り学位(博士号)を取得せずに博士課程を修了する「満期退学」した時は31歳だった。 少しプロフィールをいじればそのまま私。「第二外国語」ではなく「日史」、「早稲田大学」ではなく別の私立大学、「外国文学」ではなく「日史学」、「博士課程は6年在籍」ではなく「3年在籍」。「単位取得退学」した時は29歳。ちなみに「所定の単位を取り学位(博士号)を取得せずに博士課程を修了する」のは、私の大学では私の年代まで、私の少し下からは必ず博士学位をとるようになっている。周辺の大学では博士学位

    大学の細切れ雇用 - 我が九条
  • チャルマーズ・ジョンソン 元カリフォルニア大学政治学教授 - 我が九条

    CIAの顧問も務めたチャルマーズ・ジョンソン 元カリフォルニア大学政治学教授のインタビュー記事(「http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/diamond-20100510-03/1.htm」)。まあこういう見方もできる、ということで、参考までに。 これまでの日米両政府の関係について。 まったく悲劇的だ。両政府は1995年の米兵少女暴行事件以来ずっと交渉を続けてきたが、いまだに解決していない。実を言えば、米国には普天間飛行場は必要なく、無条件で閉鎖すべきだ。在日米軍はすでに嘉手納、岩国、横須賀など広大な基地を多く持ち、これで十分である。 そもそもこの問題は少女暴行事件の後、日の橋首相(当時)がクリントン大統領(当時)に「普天間基地をなんとかしてほしい」ということで始まった。この時、橋首相は普天間飛行場の移設ではなく、無条件の基地閉鎖を求めるべき

    チャルマーズ・ジョンソン 元カリフォルニア大学政治学教授 - 我が九条
    hit-and-run
    hit-and-run 2010/05/16
    数年前の中国との関係悪化を「やっと日本も主張できるようになった」と世間は言祝いだのに、現今の日米のギクシャクにはやたらビビってるのは解せないな。
  • もし弁護人だったとして、弁護したくない案件 - 我が九条

    タイトルそのまま。千葉県英会話講師殺害遺体遺棄事件の話で、弁護人を引き受けた弁護団は偉いな、と。いや、私だったら引き受けたくない。被疑者は多分殺意を否認してくる。傷害致死を主張して死刑や無期懲役あるいは長期懲役刑は重すぎる、と主張しなければならない。これは気が重い。おそらく被疑者に対する社会的感情は最悪だろう。一部の「逃亡王子」ファンを除いて。女性を部屋に連れ込んで殺害して埋めて二年間の逃亡をする、なんざ、一応死刑廃止論に立場に立つ私でも「吊るせ!吊るせ!」と思ってしまったりする。もし私が裁判員だったら文句なしに死刑を主張するだろうな。いかん、いかん。そもそも死刑が求刑されない可能性が高い事件だった。感情に流されて「死刑!」と叫ぶなんざ、どう考えても冷静ではない。 逆に島根県女子大生殺害遺体損壊遺棄事件の猟奇犯が逮捕されたとして、その弁護の方がまだ楽だろう。もちろんそれが冤罪の可能性が10

    もし弁護人だったとして、弁護したくない案件 - 我が九条
    hit-and-run
    hit-and-run 2009/12/09
    曾野綾子が市橋容疑者を積極的に擁護することはないだろうが、曾野がリンゼイさんの責任を問うたとしても驚かない。それくらいのレベルの自衛厨。
  • 平家物語 - 我が九条

    祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらはす おごれる人も久しからず ただ春の夜の夢のごとし たけき者もつひには滅びぬ 偏に風の前の塵に同じ 遠く異朝をとぶらへば 秦の趙高 漢の王莽 梁の朱异 唐の禄山 これらは皆旧主先皇の政にもしたがはず 楽しみをきはめ 諌めをも思ひ入れず 天下の乱れん事を悟らずして 民間の愁ふるところを知らざりしかば 久しからずして 亡じにし者どもなり 近く朝をうかがふに 承平の将門 天慶の純友 康和の義親 平治の信頼 おごれる心もたけき事も 皆とりどりにこそありしかども まぢかくは六波羅の入道 前太政大臣平朝臣清盛公と申しし人のありさま 伝へ承るこそ心もことばも及ばれね 何となくこのフレーズが頭に浮かぶ今日この頃。

    平家物語 - 我が九条
    hit-and-run
    hit-and-run 2009/08/29
    自分も、最近このことを考えていました
  • 左が左を嫌いになる時 - 我が九条

    私はかつて次のように書いた(「扇動されやすい人2 - 我が九条」)。抜粋しておく。 情報弱者で論理的な思考力が欠落しているが、その自覚のない人が大学に入って、「政治的な理由で教科書には書かれていないが、これが真の歴史である」とか、「馬鹿には理解できないが、これが真の歴史である」とか、「みんなマスコミに洗脳されているが、これが真の歴史である」とか、仄めかされると、当時は立派なサヨクが誕生したのだ。 扇動されやすい人がサヨクに走った理由は、当時言論界では「左翼」が幅を利かせていたからであり、大学に入って世話になるオリターに左翼が多かったからである。その頃はマルクス主義を標榜しないと「右翼」または「ブル」呼ばわり。いろいろなレッテルがあった。私は丸山真男に凝っていたのだが「近代主義者」、佐藤進一に凝ると「実証主義者」。これらはいずれも当時は「ウヨ」という意味である。ちなみに日共が日共とは異なる左

    左が左を嫌いになる時 - 我が九条
  • チベット問題をどういう視座で分析するべきかー教条左翼の限界ー - 我が九条

    どこからかのリンクで「比較的マシなサヨでもこの程度なんだわなあ/「アリバイ的」ってw 」(「http://c.2ch.net/test/-/asia/1205846520/297」)と言われた。「マシなサヨ」と言われたのは光栄なことだが(笑)、反省すべき点もある。そもそも共産党という既成左翼に「アリバイ的」にでもチベット問題に関する声明を期待した私がバカだった、としか言いようがない。少し考えれば分かることだが、そもそもロシアマルクス主義を止揚できていない日共産党にチベット問題を考えることなどそもそも期待するだけ無駄だったのだ。 比較的チベット問題に関する事柄を主張している共産党の支部(「ポラリス-ある日共産党支部のブログ チベット自治区暴動への対応 中国政府の対応は誤り!」)でも「中国政府は、この「暴動」を単なる暴力行為として警察権を行使して取り締まれば済むはずではなかったか? 何故「

    チベット問題をどういう視座で分析するべきかー教条左翼の限界ー - 我が九条
  • 15世紀における琉日関係 - 我が九条

    15世紀の初頭における日と琉球国王とのやりとりとして、いくつか文書を挙げる。 御文くハしく見申候、しん上の物ともたしかにうけとり候ぬ 応永廿一年十一月廿五日 りうきう国のよのぬしへ(朱印) これは応永21(1414)年に足利義持から尚巴志に送られた書状である。これは室町殿の私的な文書である御内書と言われる形式であるが、一つだけ顕著な特色がある。仮名書きである。普通の御内書を見てみよう。 馬二十匹、鳥五千羽、鵞眼二万匹、海虎皮三十枚、昆布五百把到来了。神妙候。太刀一腰、鎧五領、香合、盆、金襴一端遣之候也 卯月七日 安藤陸奥守殿 これは「安藤陸奥守殿」こと下国康季に送られた足利義持の御内書である。漢文体であることがわかる。室町殿が守護大名に出す御内書は漢文体で書かれる。これは御内書に限らず室町殿が出す文書は原則漢文体である。琉球国王への御内書のいが仮名書きであったことについては、琉球内部の文

    15世紀における琉日関係 - 我が九条
    hit-and-run
    hit-and-run 2008/02/22
    「といいたいところだが、実はからくりがある。そのからくりについては次回以降」こういう引っ張り方は上手いな
  • 木村龍治氏再録 - 我が九条

    科学的認識とは何か、ということに関して、非常に良い文章。一昨年の10月26日のエントリ「国語の問題文のクリッピング - 我が九条」で取り上げているのだが、今日授業で扱ったので再録。 ユリ・ゲラー来日時に出演者の一人が発言する。 いままでの自然科学は、何でも疑うことを前提に議論を進めてきた。しかし、疑ってばかりいては、新しい発見は生まれない。自然科学の原点は、先入観をもたず、現前で起こったことを素直に事実として認めて、そこからスタートすることである。スプーンが曲がったのは疑いもない事実なのだから、それを前提として議論を始めようではないか。 これに対する東京工業大学の桶谷繁夫という金属学の専門家は真っ向から反対の意見を唱える。 指でこするだけでは鉄は曲がらない。タネはわからないが、奇術に決まっている。 それに対し著者の木村龍治氏は桶谷氏の議論に説得力を感じる。 自然科学は、宗教的な信念ではなく

    木村龍治氏再録 - 我が九条
  • 中日山井大介投手交替について - 我が九条

    完全試合まであと一イニングと迫っていた中日ドラゴンズの山井大介投手を九回から岩瀬仁紀投手に交替させた落合博満監督の采配について。 空気読めない、とか批判があるようだが、取りあえず山井投手が豆ができたかつぶしたかで、一杯一杯だ、という話や山井投手自身の談話として最後は岩瀬投手に投げて欲しかった、とか言っている、という段階で、その批判は無効なのだが、そもそも山井投手を続投させるべきではない、という考えも出来る。 一点差である。これが二点とか三点とかであれば、完全試合をやらせるのもいいだろう。ヒットが出た段階で岩瀬投手に交替という手もある。しかし一点差。ホームランが出れば同点。そもそも長打が出ればそれだけでピンチだ。ヒットが出るだけでプレッシャーがものすごくかかる。もしまかり間違って一点取られれば、流れは日ハムに傾く。万が一逆転され、第5戦を失うことでもあれば、6・7戦は札幌ドームだ。完全に勢

    中日山井大介投手交替について - 我が九条
    hit-and-run
    hit-and-run 2007/11/02
    “プロ”の意味の二重性。勝利に徹するのがプロか、観客を沸かせるのがプロか。
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