「都会の失業者や中小商工業者たちを満蒙開拓団として送り出すために、東京に『農民訓練所』があった」―。東京都から送り出された満蒙開拓団の実像の一端が、「東京の満蒙開拓団を知る会」の調査で明らかになりました。 「大田・平和のための戦争資料展」(九日―十一日、大田区民ホール「アプリコ」)で発表されます。 東京にあったのは、「多摩川農民訓練所」。「失業して転落した青年、ルンペンになった独身青年を一定の期限で軍隊式に団体訓練して秩序だった移民団を満州に送ろう」と一九三四年に当時の東京府が計画。大田区矢口町に平屋建てと二階建ての三棟をつくりました。 直接指導に当たったのは、救世軍、上宮教会、修養団の三団体。一日中、農園で働き、農業技術や農業経営を学びました。期間はほぼ六カ月。一九三九年六月に「女子拓務訓練所」に変更し、男子は東京都日野市の「七生訓練所」に移転しました。 同「知る会」の調査によると、一九