「文化が違うから分ければよい」のか: アパルトヘイトと差異の承認の政治 亀井伸孝/文化人類学、アフリカ地域研究 Academic Journalism SYNODOS (シノドス) 2015年2月25日掲載 「人種」が違えば、共存できないのか。「文化」が異なる人びとは、居住を分けるべきなのか。 なぜ、共存を拒むのか。だれが、だれに対して、共存を拒む権限をもっているというのか。 作家・曽野綾子氏による排外的なコラム、それを掲載して公表した産経新聞社、さらに、それを共感をもって受け止める可能性が垣間見える現在の社会の状況をいち文化人類学徒として危惧し、SYNODOS (シノドス) に論考を発表しました 本ページは、その論考を補足するサポートページです。 ■ニュース シノドス寄稿論考をもととした国際会議発表をしました (2016/05/07) シノドス寄稿論考「「文化が違うから分ければよい」のか
著者が生涯をかけて実践・研究してきた“子どもの貧困の撲滅”への戦いの記録。学習支援と、「子どもの貧困対策推進法」「生活困窮者自立支援法」制定に至る軌跡の集大成である。日本から、そして世界から子どもの貧困が消滅し、この世に生きとし生ける子どもが幸福追求でき、自己実現できるよすがになれば幸いである。【推薦の辞/大橋謙策氏(元日本社会福祉学会会長)より】 目次 第1部 貧困の連鎖と学習支援 第1章 貧困の連鎖と高校就学保障 第2章 貧困の連鎖と学習支援 第3章 崩れゆく家庭・地域と子どもたち 第4章 「子どもの貧困」と教育力・生活力の形成 第2部 子どもの貧困―調査と事例研究― 第5章 ひとり暮らし児童の生活事例 第6章 母と子の暮らしと児童扶養手当 第7章 父子世帯の悩み・生活と意見 第3部 福祉と教育 第8章 子育て支援と保育相談支援 第9章 特別支援教育と障碍児の進路
パンフレット『みんなでつくる手話言語法』 私は、韓国からきてろう教育について研究しています。近年、韓国と日本では「手話言語法」の制定のため、活発な活動が行われています。特に、日本では、2013年10月に、鳥取県で全国初の手話言語条例が成立してから、現在までに10か所の自治体で手話関連条例が成立しました。手話言語法では、主に、手話を獲得する、手話で学ぶ、手話を学ぶ、手話を使う、手話を守る、という5つの権利の保障を主張しています。 その5つの権利のうち、私は特に「手話で学ぶ」権利について関心を持っています。日本のろう教育では、これまで聴覚口話法による音声日本語の学習に重点を置いてきました。聴覚口話法とは、口の形や補聴器などを活用しながら音声言語を身につける言語指導法です。近年では手話を活用することの必要性が認識され、多くのろう学校で手話を取り入れた教育を実施しています。ただ、ろう学校に勤務して
私が日々暮らす日常の中で出会う知的障がいを持つ人々。彼らの自立生活や地域生活の「支援」を自らの日常を通じ、自らの支援の?を模索する ある朝目覚めた時、夢うつつの中で浮かんできた言葉が「市民後見」ならぬ「市内後見」 後見人の新たな展開として「市民による後見」というのが「市民後見と私は理解している。 それに対して、 市内(すなわち当事者の生活空間)に限って後見業務をになのが「市内後見」と言う妄想。 成年後見制度の大きな問題は、本人の権利を守るための制度でありながら、本人の意思決定の支援が不十分な中、「本人の意思」として後見人が当事者の「代理権・同意見・取消権」をもってしまうという点。 市民後見は、専門性をもった人たちが後見人になっていくのではなく、もっと市民感情や市民常識に照らし、本人に近いところにいる人が後見人となっていく事なんだろうけどそれでも「本人の意思」が見えない中でその職務を実行する
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