舞台劇と映画では、人のいない風景を「空舞台」と呼びます。逆に幕が上がったときから役者が舞台にいる状態を「板付き」と呼び、演出としては厳密に区別します。これはシーン単位に関する区別ですが、カット単位でも空舞台に被写体がフレームインしてくることで「ドラマの予感」が生じ、意味が発生します。舞台に人の出入りが始まり、役者と役者が絡み、芝居やセリフに乗せて情の動きが生じることが「劇(ドラマ)」の本質なのです。その葛藤(コンフリクト)が内圧を高め、クライマックスでカタルシスが起きて解放され、感情が観客と共有される。これが一般的な「作劇」のセオリーです。だからアニメーション文化でも「人の動き」による表現が重視されてきたわけです。 物語性のある新海誠作品 ところが初期新海作品は、そのセオリーとは根源的に異質です。むしろ光や雲の変化に動きをつけ、淡々としたモノローグを重ね、時に言葉を途絶させる。代わりに落ち