ブックマーク / www.refugee.or.jp (4)

  • 自分は何者なんだろう。「非正規滞在」を経て、私は日本で看護師になった|ニッポン複雑紀行

    「不法滞在」や「非正規滞在」と聞いてどのような人を思い浮かべるだろうか――。 「不法」という言葉からあまり良くない印象を持っている人が多いだろうか。テレビの中のモザイク処理がかけられた人々をイメージする人が多いだろうか。そもそも「非正規滞在」がどんな状態のことか、どんな人々のことか、知っているだろうか。 非正規滞在とは通常、外国人が何らかの理由で在留資格が無い状態に陥ったときのことを指す言葉だ。日には2018年7月時点で少なくとも7万人近い非正規滞在者が存在し(※超過滞在者=いわゆる「オーバーステイ」のみの統計、法務省)、かつては1990年代をピークにもっと多くの非正規滞在者が存在した。 この記事では、かつて自らも非正規滞在の状態に陥り、様々な逆境を乗り越えて来たある女性のことを紹介したい。 梁 鈴麗(リョウ リンレイ)さん、39歳――バブル真っ盛りの1988年、9歳の頃に中国南部の福建

    自分は何者なんだろう。「非正規滞在」を経て、私は日本で看護師になった|ニッポン複雑紀行
    hogemama
    hogemama 2021/01/28
  • 迫害を逃れて海を渡った。長崎・五島、潜伏キリシタン移民の子孫が語り継ぐ差別、戦争、信仰の記憶|ニッポン複雑紀行

    大小140あまりの島々が連なる長崎県の五島列島。ペトロ尾上勇(おのうえいさむ)さんはその北部に位置する中通島(なかどおりじま)で生まれ育った。キリスト教徒であり、一人の漁師として生きてきた。「ペトロ」は洗礼名だ。 尾上さんは江戸時代のキリシタン禁制下でも信仰を守った「潜伏キリシタン」を先祖にもつ。江戸後期の18世紀末、多くのキリシタンたちは当時の迫害を逃れて、九州の外海(そとめ)地方(現・長崎市の北西部に位置)を離れ、たくさんの小舟で海を渡った。五島の島々に新天地を求めたのだ。 離島への大規模な移住には政治的な背景もあった。未開の土地を開拓する人手を欲しがった五島藩が、逆に人口が増えすぎて困っていた九州土の大村藩に協力を求めたと言われる。その結果、3000人もの移民が五島を目指したが、その多くが潜伏キリシタンだったのだ。 2018年に世界遺産となった潜伏キリシタン関連資産が、九州土だけ

    迫害を逃れて海を渡った。長崎・五島、潜伏キリシタン移民の子孫が語り継ぐ差別、戦争、信仰の記憶|ニッポン複雑紀行
    hogemama
    hogemama 2020/10/29
    "結局、軍国主義の思想を打ち込まれとったけん。戦争に負ければさ、涙までは出らんけど残念じゃった。本当を言えば、反対やったかも知れんけど。子ども心にさ、そげな気持ちになりました。" 宮本輝の小説のよう。
  • 米兵と出会った祖母のこと。大阪、横須賀、語られなかった強さと生き様の歴史|ニッポン複雑紀行

    戦後の大阪には1955年まで米軍の駐屯地(現・大阪市立大学)があった。黒島トーマス友基さんは、そんな「キャンプ・サカイ」に第65エンジニア部隊の一員としてやってきた占領軍の米兵を祖父にもつ。 実は私も祖父が沖縄の米軍属で、これまでトーマスさんとは色々なことを語り合ってきた。二人の共通点は、祖父が米軍と関係しているという事実にだけでなく、「アメラジアン」としてのアイデンティティをもって暮らしていることにもあるかもしれない。 これまで、アメラジアンにまつわる一人ひとりの歴史が積極的に語られることは決して多くはなかった。例えば、芸能界などにも有名な方はいるが、自分の家族のことを積極的に語る人たちは少なかったように思う。 トーマスさんはそのことを少し残念に思っているようだった。自分のおじいさん、おばあさん、そして二人の間に生まれたお父さんのことについて、語るべきこと、語り継ぐべきことがたくさんある

    米兵と出会った祖母のこと。大阪、横須賀、語られなかった強さと生き様の歴史|ニッポン複雑紀行
    hogemama
    hogemama 2020/01/17
    お父さんがトーマスを名乗る下り泣けるなあ。現代の文学だ。
  • あの頃日本人になりたくて、毎日軍歌を聴いていた。大阪の右翼少年が「なにわのアメラジアン」になるまで|ニッポン複雑紀行

    「アメラジアン」という言葉を知っているだろうか?アジア各地に展開する米軍基地の軍人・軍属と現地の女性との間に生まれた子どもやその子孫がそう呼ばれることがある。アメリカとアジアでアメラジアン。日だけでなく、韓国やフィリピン、ベトナムなど米軍が展開する地域に数多く存在する。 かく言う私もアメラジアンの一人である。私の母は沖縄の祖母と米軍の祖父との間に生まれた。私は「クオーター」で、「アメラジアン」で、私が名乗り始めた「ローレンス」という名は、私が一度も会ったことのないアメリカ人の祖父の名である。 私は長い間、自分と似た出自を持つ他者と出会ったことがなかった。アメラジアンという言葉を使う使わないに関わらず、このような出自の子孫が日にも少なくないはずだが、そのことをあえて言わない人や自分自身が気づいていない人も多い。そんな中、私が25歳の夏、初めて出会った人が黒島トーマス友基さんだった。 トー

    あの頃日本人になりたくて、毎日軍歌を聴いていた。大阪の右翼少年が「なにわのアメラジアン」になるまで|ニッポン複雑紀行
    hogemama
    hogemama 2020/01/16
  • 1