「料理の鉄人」などテレビの料理番組などで活躍した中華料理人の周富徳(しゅうとみとく)さんが8日、肺炎のため入院先の横浜市内の病院で亡くなった。71歳だった。葬儀は近親者で営んだ。 横浜市の中華街で料理人の父の仕事を見ながら育つ。高校卒業後、中華料理店やホテルでの修業などを経て、自ら店を経営、評判となる。 軽妙な語り口と明るいキャラクターでNHK「きょうの料理」やフジテレビの「料理の鉄人」などで活躍する他、タレント活動も幅広くこなした。
名脇役として多くの映画やドラマに出演し、味わい深い演技で知られた俳優夏八木勲(なつやぎ・いさお、本名同じ)さんが11日午後、神奈川県内の自宅で死去した。73歳だった。関係者によると、昨年膵臓(すいぞう)がんが判明したという。抜群の存在感で作品を支えた名優は、闘病を公にすることなく仕事を続け、最後まで現役にこだわり続けた。 関係者によると、夏八木さんは膵臓がんが見つかってからも、仕事のペースを緩めることはなかったという。今年も出演映画5作が公開予定。昨年10月期のフジテレビ系連続ドラマ「ゴーイング マイ ホーム」にもレギュラー出演するなど、精力的に現場に立ち続けた。 今月2日、都内で行われた日本映画批評家大賞の授賞式は「ゴールデン・グローリー賞」を受賞していたが、風邪を理由に欠席し、まり子夫人が代理で出席した。夫人は「過分な賞をいただきました。好きなことを好きなようにやってきた賞で…。恐縮で
暗くじめじめとした私小説的文学風土を敢然と拒否し、豊かな教養を背景に「笹(ささ)まくら」や「たった一人の反乱」など、知的で明るい物語性に満ちた小説を書き続け、評論や翻訳でも知られた作家の丸谷才一(まるや・さいいち、本名・根村才一=ねむら・さいいち)さんが13日、心不全のため東京都内の病院で死去した。87歳。葬儀は近親者のみで営み、お別れの会を後日開く。 山形県鶴岡市生まれ。東大英文科卒。自然主義が重んじられる日本の文壇に反発。1952年にはグレアム・グリーン「不良少年」を翻訳、64年にはジェームズ・ジョイス「ユリシーズ」を共訳し、注目された。軽快で面白い長編市民小説を自らの目標とし、長編「エホバの顔を避けて」(60年)でデビュー。徴兵忌避者を描いた長編「笹まくら」(66年)は高い評価を受けた。「年の残り」(68年)で芥川賞を受賞。 その後も「たった一人の反乱」(72年、谷崎潤一郎賞)、「裏
【ロンドン=近藤雄二】競泳の北京五輪男子100メートル平泳ぎ銀メダリスト、アレクサンデル・ダーレオーエン(26)(ノルウェー)が、合宿先の米アリゾナ州フラッグスタッフ(標高約2100メートル)で急死した。 1日に、ノルウェー水泳連盟が発表した。 AP通信などによると、ダーレオーエンは米国時間の30日、合宿地の風呂場の床に倒れていたところを発見され、病院に運ばれたが死亡が確認された。死因は心臓発作と見られる。ノルウェーからの報道によると、死の直前には普段と変わりない様子で家族と連絡を取り、2日には帰国の予定だった。フラッグスタッフは日本競泳陣もしばしば使用する高地合宿地。 ダーレオーエンは昨年の世界選手権100メートル平泳ぎで金メダルを獲得し、今夏のロンドン五輪では、日本のエース北島康介(日本コカ・コーラ)の最大のライバルと見られていた。
2010年04月11日08:30 カテゴリTribute書評/画評/品評 訃報 - 井上ひさし なんと。 吉里吉里人(上中下) / 四千万歩の男(全五巻) 井上ひさし 時事ドットコム:井上ひさしさん死去=作家・劇作家、「吉里吉里人」など「吉里吉里人」「四千万歩の男」など奇抜な設定と軽妙なタッチの小説や戯曲、エッセーで知られ、護憲運動にも力を注いだ作家・劇作家の井上ひさし(本名廈=ひさし)さんが9日夜、肺がんのため神奈川県鎌倉市の自宅で死去した。75歳だった。 最も遅筆したい訃報だ。 この人のすごさは、なんというか、アボガドロ数のようなものだろうか。6.022 × 1023という数があまりに大きくて実感が持ちがたいのと同様、井上ひさしという作家は、一般人がとらえるにはあまりにやさしく、あまりにふかく、あまりにゆかいで、あまりにまじめだったのだ。 Twitter / 尻P: 「読めば絶対面白い
「平和愛する国なのに」なぜ日本は入国拒否?悪名高い収容所「グアンタナモ」に14年拘束、嫌疑晴れたベストセラー作家は「許しと和解」を訴える
フランス紙ルモンド(電子版)が3日伝えたところによると、現代フランスを代表する思想家で社会人類学者のクロード・レビストロース氏が、死去した。100歳。10月31日から11月1日にかけての夜に死去したという。死因など詳しい状況は不明。 第2次大戦中に亡命した米国で構造言語学を導入した新しい人類学の方法を着想、戦後フランスで実存主義と並ぶ思想的流行となった構造主義思想を開花させた。 1908年11月28日、ブリュッセルのユダヤ人家庭に生まれた。パリ大学で法学、哲学を学び、高校教師を務めた後、35年から3年間、サンパウロ大学教授としてインディオ社会を調査。41~44年にナチスの迫害を逃れて米国亡命、49年の論文「親族の基本的概念」で構造人類学を樹立した。 自伝的紀行「悲しき熱帯」(55年)は世界的ベストセラーとなり、「構造人類学」(58年)「今日のトーテミズム」(62年)「野生の思考」(同年)で
中川元財務相が死亡=東京・世田谷の自宅で 中川元財務相が死亡=東京・世田谷の自宅で 中川昭一元財務・金融相が4日午前、東京都世田谷区の自宅で死亡しているのが見つかった。警視庁関係者によると、目立った外傷はなく、事件に巻き込まれた可能性はないとみられる。これまでに、遺書などは見つかっていないという。 同庁関係者によると、中川氏は自宅2階のベッドでうつぶせに倒れていた。午前8時20分ごろ、妻から「倒れている」と119番があり、救急隊員が駆け付けたが、既に死亡していた。死後7〜8時間が経過していたとみられるという。(2009/10/04-11:12) 関連ニュース 【アクセスランキング】今、1番の注目記事と写真は 【時事ドットコム動画】最新の話題や展示会、水着ショーなど盛りだくさん 【ニュース解説】閣僚辞任例 鳩山民主党に欠落する「政治的リアリズム」 【写真ニュース】中川元財務相が死亡
Michael Jackson, an incomparable figure in music, dance and culture whose ever-changing face graced the covers of albums that sold more than half a billion copies, died Thursday, shortly after going into cardiac arrest at his rented Holmby Hills mansion. He was 50. He spent much of his life as one of the most famous people on the planet, and to many, his untimely death felt both unthinkable and, o
忌野清志郎さん死す…突然の他界に衝撃広がる ロック歌手の忌野清志郎(いまわの・きよしろう、本名・栗原清志=くりはら・きよし)さんが2日午前0時51分、がん性リンパ管症のため都内の病院で死去した。58歳だった。06年7月に喉頭(こうとう)がんを公表。闘病生活に入ってから一時復帰したが、08年7月に腰に転移したことが分かり、再び活動を休止していた。最近は世界マラソンに挑戦中の間寛平(59)に応援歌を提供するなどしており、突然の他界に関係者は大きなショックを受けている。 清志郎さんの容体が急変したのは1日。すぐに都内の病院に入院したが、そのまま帰らぬ人となった。都内の自宅では深夜まで関係者らが出入りし家族は遺体のそばで悲しみにくれていた。 08年7月に2度目の活動休止に入って以降も体調は良く、レコーディング作業中の食事もとんかつ定食をたいらげるなど元気だった。それだけにショックは大きく、
米ニューヨーク(New York)の国連(UN)本部で記者会見に臨む作家ジョン・アップダイク(John Updike)さん(2004年11月30日撮影)。(c)AFP/Mandel NGAN 【1月28日 AFP】(一部更新)ピュリツァー賞(Pulitzer Prize)を2度受賞した米国の作家、ジョン・アップダイク(John Updike)氏が27日、マサチューセッツ(Massachusetts)州で肺がんのため死去した。76歳。出版大手のアルフレッド・A・クノッフ(Alfred A. Knopf)社が伝えた。 アップダイク氏は米国で最も多くの作品を残した作家の1人というだけでなく、この作家が米国の一部であると同じように、米国がその作品の一部だった。 ウェブサイトの「ザ・サロン(The Salon)」は、インタビュー記事の中で「アップダイクは、あたかも別の時代からやってきた影が、現代文学
【ニューヨーク=長戸雅子】冷戦終結後の世界で宗教による対立を警告した著書「文明の衝突」で知られ、米国を代表する政治学者のサミュエル・ハンティントン氏がマサチューセッツ州内の医療施設で亡くなっていたことが、27日明らかになった。81歳。ハンティントン氏が昨年まで教授を務めていたハーバード大学が、同大のサイトで24日に亡くなったと発表した。 ハンティントン氏はハーバード大で58年間、教職についていたほか、1970年代にはカーター政権で国家安全保障会議のメンバーも務めた。93年に外交専門誌「フォーリン・アフェアーズ」で宗教による対立を提起。この理論を体系化した96年の著書「文明の衝突」で世界的な注目を集めた。 また、2004年の著作ではメキシコからの大量の移民が米国の伝統を破壊すると主張し論議を呼んだ。
5日、89歳で死去した評論家の加藤周一さんは、「雑種文化論」など幅広い評論で知られた。ヨーロッパの大学で初の日本人の主任教授となるなど、国際的知識人として活躍。時事問題でも積極的に発言した。 1951年からフランスに留学。帰国後、カナダ・ブリティッシュコロンビア大教授などを経て、69年、ベルリン自由大東アジア研究所日本科主任教授に就任。日本文学などを講義した。76年に上智大教授となって以降も、スイス・ジュネーブ大、英ケンブリッジ大の客員教授を務めた。 論壇での「雑種文化論」も、最初の海外経験でヨーロッパ文化の統一性に打たれたことから生まれた。日本文化を元来の日本的なものと西洋化されたものの絡み合いと再定義した。後年、幅広い知見を生かして、平凡社「大百科事典」編集長も林達夫から引き継いだ。朝日新聞の連載エッセー「夕陽妄語」は、84年から24年間続いた。 被爆直後の広島を、医学調査団の一員とし
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