劇団民芸の創設メンバーで、舞台や映画のおばあさん役で知られた俳優、北林谷栄(きたばやし・たにえ、本名安藤令子〈あんどう・れいこ〉)さんが4月27日に肺炎のため死去したことが明らかになった。98歳だった。葬儀は近親者で行った。喪主は長男安藤朝生(あさお)さん。連絡先は劇団民芸(044・987・7711)。
米俳優ピーター・グレーブス氏、83歳で死去2010年3月15日 印刷 ソーシャルブックマーク 3月14日、「スパイ大作戦」に出演していた米俳優ピーター・グレーブス氏(83)が自宅で亡くなっていたのが見つかった。2006年1月撮影(2010年 ロイター/Mario Anzuoni) [ロサンゼルス 14日 ロイター] 1960年代に人気を博した米テレビドラマシリーズ「スパイ大作戦」に出演していた米俳優ピーター・グレーブス氏が14日、自宅で亡くなっていたのが見つかった。83歳だった。 グレーブス氏の広報担当者は、死因は心臓発作だと発表。ロサンゼルスの警察当局も不審な点は見当たらないとして、死因などに関する捜査は行わないとしている。 グレーブス氏は「スパイ大作戦」で極秘指令を受け取るリーダーのジム・フェルプス役を演じて人気となり、1980年にはコメディ映画「フライング・ハイ」にも出演した。 アサ
「1週間のごぶさたでした」の名調子で親しまれた司会者の玉置宏(たまおき・ひろし、本名宏行=ひろゆき)さんが11日午前10時33分、脳幹出血のため神奈川県内の病院で死去した。76歳。川崎市出身。葬儀は近親者のみで済ませた。後日、お別れの会を開く。 明大卒業後、文化放送アナウンサーに。退社後、歌手の故三橋美智也さんの専属司会を務め、1958年から19年間、テレビの歌謡番組の草分け「歌のアルバム」の司会を担当した。流麗な語り口と、歌手の特徴をよくつかんだ紹介で、歌謡番組司会の第一人者として活躍した。 テレビ朝日系「スターものまね大合戦」のほか、ラジオで長年続いたニッポン放送の「玉置宏の笑顔でこんにちは!」や「平凡アワー」、NHK「ラジオ名人寄席」などでも親しまれた。 2002年に大衆芸能の拠点として開設された「横浜にぎわい座」(横浜市)の館長に就任。日本司会芸能協会会長も務めた。 [2010年2
日本テレビ系の演芸番組「笑点」の司会などで知られた落語家の三遊亭円楽(さんゆうてい・えんらく、本名・吉河寛海=よしかわ・ひろうみ)さんが、29日午前8時15分、肺がんで亡くなった。76歳だった。 東京都台東区の寺に生まれ、1955年に六代目三遊亭円生に入門。全生を名乗り、58年に二つ目、62年の真打ち昇進と共に五代目三遊亭円楽を襲名した。 端正な顔立ちと博識で人気を得て、60年代の演芸ブームでは立川談志、古今亭志ん朝、橘家円蔵と「寄席四天王」と呼ばれた。78年に円生とともに落語協会を脱退、翌年の円生の死後も一門を率い、円楽一門会の名で活動を続けた。 また、テレビ番組に積極的に出演し、「笑点」は初回から参加。いったん落語に専念するが、82年に司会者となり、2006年5月に勇退するまで、老舗番組の看板として活躍した。 晩年は、腎不全、脳こうそく、胃がんなどの病気と戦い、07年には落語家を引退。
岩田 安生さん(いわた・やすお=俳優)が24日、肺がんで死去、67歳。通夜は26日午後6時、葬儀は27日午前11時から東京都武蔵野市緑町1の6の7の源正寺太子堂で。喪主は妻廸子(みちこ)さん。 東京演劇アンサンブル所属。舞台のほか「サザエさん」の伊佐坂先生役などアニメの声優や洋画の吹き替えでも活動した。
南田洋子さん(右)と長門裕之さん=98年8月 体調を崩して17日夜から東京都内の病院に入院していた俳優の南田洋子(みなみだ・ようこ、本名加藤洋子〈かとう・ようこ〉)さんが21日午前10時56分、くも膜下出血のため死去した。76歳だった。 映画や舞台、ドラマ、テレビの司会などで幅広く活躍。長門さんとのおしどり夫婦ぶりでも知られた。数年前から認知症になり、長門さんに介護される模様がテレビのドキュメンタリー番組などで紹介されて話題を呼んだ。 51年、大映に入社。53年、「十代の性典」で若尾文子と共演し、「性典シリーズ」に欠かせない存在になった。55年には映画製作を再開した日活に移籍。「太陽族」ブームを生んだ石原慎太郎原作の映画「太陽の季節」(56年)で長門さんとコンビで主演して大ヒットを記録。61年に長門さんと結婚した。 日活ではドル箱だったアクション映画のヒロインを務める一方、「わが町
テレビのバラエティー番組司会者や映画「仁義なき戦い」シリーズなどで活躍した俳優の山城新伍(やましろ・しんご、本名渡辺安治=わたなべ・やすじ)さんが12日午後3時16分、誤嚥(ごえん)性肺炎のため東京都町田市の特別養護老人ホームで死去したことが、14日分かった。70歳。京都市出身。葬儀・告別式は近親者のみで行う。喪主は弟鎮雄(しずお)氏。 1957年にニューフェースとして東映に入社し、60年には子供向けテレビドラマ「白馬童子」で主演し人気者になった。時代劇に数多く出演した後、「不良番長」シリーズや「仁義なき戦い」シリーズなどで活躍した。 75年には深夜バラエティー番組「独占!男の時間」の司会者として新境地を開き、「新伍のお待ちどおさま」などの軽妙で辛口なトークがお茶の間の人気を集めた。「アイ・アイゲーム」で使った「チョメチョメ」という表現は流行語にもなった。 NHKの連続テレビ小説「おはよう
4人組の人気グループ、フォーリーブスのメンバー青山孝史(あおやま・たかし、本名・城下孝行=しろした・たかゆき)さんが28日午前7時、肝臓がんのため東京都内の病院で死去した。57歳。佐賀県出身。葬儀・告別式は2月4日午前11時から東京都渋谷区西原2の42の1、代々幡斎場で。喪主は未定。 青山さんは1968年、フォーリーブスとして「オリビアの調べ」でレコードデビュー。「ブルドッグ」「踊り子」「地球はひとつ」などの曲がヒットした。78年に解散したが、2002年に再結成しツアーを行っていた。 [2009年1月28日15時2分]ソーシャルブックマーク
24日午後、元タレントの飯島愛さん(36)が東京都渋谷区のマンション21階の部屋で死亡しているのが見つかった。 警視庁によると、連絡を取れないのを不審に思った知人が訪ね、発見したという。警視庁が詳しい状況を調べている。 飯島さんは90年代、テレビのバラエティー番組の司会などで人気を集め、00年に「プラトニック・セックス」を出版。自らの半生を告白した自伝的小説としてベストセラーになり、映画化、テレビドラマ化もされた。 06年に腎臓の病気などで体調が思わしくないことを公表、昨年3月に「目標や夢が見いだせず、頑張れないのなら生き残っていくことは不可能」として芸能界からの引退を発表した。 [2008年12月24日18時31分]ソーシャルブックマーク
5日に71歳で亡くなった俳優の緒形拳(おがた・けん、本名・明伸=あきのぶ)さんの密葬が7日、東京都内の寺院で営まれた。 終了後、俳優として活躍する長男の幹太さん、次男の直人さんが記者会見を行い、緒形さんが亡くなったのは5日午後11時53分、死因は肝がんだったと発表した。 連絡先は、東京都中央区日本橋人形町2の28の5の203、緒形事務所。喪主は妻、典江さん。 幹太さん、直人さんによると、緒形さんは8年前に肝炎を患い、5年ほど前、肝がんに移行した。緒形さん本人の意思で手術はせず、体調が悪くなると、病院で点滴をしたり、食事療法を受けたりした。「病気のことは仕事の関係者には絶対に言わないでほしい」という緒形さんの意向で、俳優仲間にも病状を明らかにしなかったという。 今年4月からはフジテレビ系の連続ドラマ「風のガーデン」の収録に臨み、9月30日には、撮影終了の記者会見にも出席したが、今月4日夕に体
The entire movie was shot by taking about 25,000 photos using a digital SLR still camera a The entire movie was shot by taking about 25,000 photos using a digital SLR still camera and pieced together using Quicktime Pro and Final cut Pro. Since it was shot on a still camera, all the raw footage is 1080p HD. Also, I would like to send a HUGE thanks to Marlon and Mary of The Ghost Orchid. They provi
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