アメリカ北部ウィスコンシン州にある人口8000人あまりの田舎町。トレーラーハウスと呼ばれる小さな家の中で、その男性は落ち着いた口調で私たちの質問に答え始めた。 「そう、事故を起こしたミサイルには、広島型原爆と同じ規模の威力を持つ、20キロトンの核弾頭が搭載されていました。もし核爆発を起こしていたら、那覇の街が吹き飛んでいたでしょう。本当に恐ろしいことです」 58年経って初めて、事故にかかわった当事者が語る 男性は、元アメリカ陸軍の兵士、ロバート・レプキー氏(81)。レプキー氏は、1950年代末、沖縄に配備されていた核ミサイル、ナイキ・ハーキュリーズの部隊に所属し、核弾頭を含むミサイル全体の整備を担当していたという。 その事故が起きたのは、1959年6月19日。場所は、人口が集中する那覇に隣接した基地(現在の那覇空港がある場所)。訓練の最中、1人の兵士が誤った装置をミサイルの電気回路に接続し
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