11/22のマチネーで、「友達」を観た。 舞台には、建材用の金属パイプを曲げてつないだだけの、簡素な部屋らしきもの。そこには壁も、床の間仕切りすらなく、二つのドアがなければ、それは部屋とすら判らない。 冒頭、まだ薄暗い舞台の上を、闖入者たちが現れ、パイプの存在を気にすることなく、思うまま舞台を縦横無尽に歩く。 この、不思議な導入部は、安部公房の原作と比べると、圧倒的に違っている。 確かに安部公房の原作には、「ドアを含めて、すべての家具調度が、可能なかぎり単純化され、省略されていることが望ましい」とある。しかし、その一方で、原作には「家具、調度をふくめて、赤っぽい粘土色、もしくは灰色で統一されていること。上手、手前に、台所に通ずるドア。下手、奥に、別の部屋に通ずるドア。下手、手前に、玄関のドア。(中略)玄関わきに、格子状の靴箱。」などと、舞台の配置配色は事細かに記されている。おそらく、「可能
3月5日神戸ジーベックホール「音の海」本番。 最初は、いつものワークショップのとおり、まずはスタッフの大人たちによる演奏をオレの指揮で10分ほど。オレもみんなもちょいと固いかな。音と音の切れ目から佑豪くんの唄声が聞こえてくる。ひとつの場所にはじっとしていられない男の子だ。多分会場のどこかを徘徊しながら唄っているのだ。彼にも今日がコンサートだってことわかっているんだ。彼の声がなるべく聞こえるように、間をあけて指揮をする。ステージのみんなにも、会場のみんなにも彼の歌が聞こえたはずだ。スタッフみんなの気分が落ち着いてきた。そう、今日の主役は、僕等じゃなくて、彼等彼女等なのだ。 前座の演奏終了、拍手。 ここでステージ脇の待合所にいる子供達に声をかける。待合所からはステージも見えるし、ステージからも客席からも彼等彼女等を見えるようにした。これなら、子供達に、逐一コンサートの進行を伝えなくても、今がど
今週、ジョージア工科大学とPalo Alto Research Center(PARC)の研究者らが、世間一般のサラリーマンにApple Computerのデジタル音楽ソフトを使わせたときの行動についてまとめた研究論文を発表した。 この研究グループによると、社内ネットワークで音楽プレイリストを共有する行為は、オスのクジャクが羽を広げるようなものであり、ユーザーは新車を買ったり携帯電話を見せびらかすのと同じように、他人に公開する曲によって自分のイメージを積極的に作り出そうとしているという。 「(自分のプレイリストを)調べてみて、『他の人がこれを見たら、自分に対してどんなイメージを持つのだろうか』と自問した」と、この研究に参加した被験者の1人は述べている。「存在を他人に知られたくない不快なものが混じっていないかどうかをチェックした」。 プレイリスト不安症は最近になって出てきたものではない。他人
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